百姓の詩

黄昏

cf2a2e6f.今日の写真 2日前の黄昏時 ちょうどこの角度だと 成田空港から飛び立つ機影が 沈んでいく夕日を横切る形になる 人によっては 朝の一日が始まるすっきりと晴れ渡る時が好きな人もいれば この写真のように一日が終わる黄昏時が好きな人もいる 僕はこの写真が好きな後者だ 

畑を一日やりきり 今日できることはすべてやった そう思いながらこの時を迎える気分はなんともいえないものがある この日記でも何度も書いたけど昔アメリカでネイティブ・アメリカンに出会った時 その力強さに圧倒された そしてどうしたら人としてこんなにも力強くなれるのだろうか?と強く思った 大地に生きる ネイティブ(土着的に生きる)として生きる それは言葉はきれいだが 実際は苦しいことの連続だ ただ 畑というものを糧として生きようとしたときに あの憧れた彼らに少しでも近づく道を選択したのは 間違いないという確信はある 畑に腰を下ろして 夕陽を眺めていると 聖なるものが どこか遠くにあるのではなくて ましてやなんかの修行や洞窟の奥深くにあるのではなくて すぐ目の前に 手の届くところにあるのがわかる 風がなびくのに身を任せて 目をつぶると すぐに平安が訪れる 会社勤めの人が 帰りがけのビールの一杯にありついて ほっとするように 百姓がほっとするのは こんな時だろう  

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