コラム・百姓から見た世のつれづれ

辛味大根 100年という単位で物を考える

e1990ec7.今日の写真 先日初出荷の辛味大根 葉っぱももりもり食べられる 大根が出来てくるようになると 秋ですなー という実感が湧く 10月から 3月の終わりまで 途切れなく今年も各種の大根が出荷できるかどうか 野菜に祈り 天に祈る

今日のテーマ 『100年という単位で物を考える』
時に 優秀な歴史上の人物は 100年単位で世を見ている 徳川家康の作った 幕藩体制は 350年もった すごくね?!坂本竜馬という人は 日本を共和国にしたいと願い道半ばで倒れたけど もし その後の明治維新に参加していたら 日本は違った形になったかもしれない 第2次大戦後 吉田茂は これからの時代に どうしたら日本が生き残っていけるのか という命題を考えていた 100年という単位で 物を考えるときに 大事なのは 世の中の流れを読むという以上に これからの時代には 地球に生きるひとつの生命としての役割 というポイントを 追加せねばいけないだろう 

パーマカルチャー いうところの 生態系の究極は 森 である 150年~200年という単位で 森を作っていく循環が 自然というものである 対して 僕らの人生は せいぜい 70年ぐらい?(あ 男はもっと少ないよね) そして 日々の生活に追われ 数年先まで自分のことを見通すことすら 困難な人も多いのかもしれない(はい 僕そうです)
 環境問題が解決に至るのに 最も邪魔するのが この人としての 物を考える期間の短さだろう ネイティブ・アメリカンのように 7世代先のことまで 日常を考えて送ることができれば すぐにでも 解決の糸口が見えるかもしれない 
 
 農業をやっていて 思うこと それは こうした果てしなく綿々と続く 生態系の一部を利用させていただきながら 日々 せわしない日常に追われ 物を考えるときに ある種 恒久的な問題を一方で考えながら 明日の出荷に 種まきに追われていく いっそ 都会に住んで 自然と切り離された生活を送ったほうが 頭の中は 首尾一貫していて楽なのかなとも思う 100年という単位で 農業を考えたとき どんなやり方がベストなのか? 100年という単位で 食 というものを考えた時 どんなやり方がベストなのか? ひとつひとつあらゆる分野で その道の専門家が考える必要がある そんな時代に僕らは突入したように思う 

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