有機農業

農 と 芸術(アート)

d446c8fd.さて 今日も雨がちの天気 梅雨本番ということで しばらくじゃがいもは掘れない 百姓仕事は天気次第 自分の努力や思惑とは別のところで 動いているこの生態系 我らは蟻とさほども代わらない存在だ 
 
 さて 僕も農業の世界に飛び込んで10年経った その間 農業の世界にまつわるいろんないいこともそうでないものを 自分なりに体験してきた その中でも 農園を移転するという 新規就農を2回経験したことは 大きかった ゼロからのスタートではなくて マイナスいくつから始めたわけで その意味でも まだ自分がゼロ地点に立っているとは思っていない 何を目指すのか? ひとつには 自分で野菜を作って販売し 農園を拡大する ということが まずもってすべてのスタート うまい!と思える野菜を作り 売り上げも数倍にまで 伸ばしたい 田舎で農産物を作って生計を成り立たせる という 見捨てられようとしている 田舎の本業を しっかりと地に足を着けて 復活させること これなくしては 何も始まらない 単なる一過性のものでは 農業は太刀打ちできない世界 その意味で 最前線である 農業の現場を知らずして 農業を語る資格はない ということを 肝に命じて欲しいというのが 一人の百姓の願いだ

 そして それを安定させた上で 農 の復活には その農自体の持つ枠組みを 自分たちの手で 乗り越えていかなくてはならない 従来の農にはなかった発想と取り組みを この田舎で 形作っていかなくてはならない その意味で 僕が今 とても注目しているのは 農と芸術(アート)だ 畑は文字通り 生態系の1つの形 人の手で デザインされ 命の循環でもって 農産物を生み出していく 命の源だ 畑には カオスがあり そこから生まれる 美しさがある 日々 畑をやっていて 畑の中にある 大いなる神秘 や はっとするほどの 野菜の放つエネルギーに触れたときに 人が大量生産されて工場の中で作られるものとは 根本的に何かが違うのがはっきりとわかる その何かの定義はよくわからないけど たぶん 芸術(アート)と呼ばれる 領域に属する気がする そうしたものをなんかの形で 表現できたら と思う たぶん それは 百姓しかできない表現であり 畑からの強烈な メッセージのようなものを 発信できたら それは とてもおもしろいんじゃないかなと 最近 強く思う ま そんなわけで しばらくしたら何かの形にしたいと思っています 今日の写真 黄色がきれいな ズッキーニ

2 thoughts on “農 と 芸術(アート)

  1. こんにちは。中村礼輝です。
    お送りいただいた野菜を毎日食べています。ズッキーニや大根、キャベツ、ニンジンなどをトマト味のスープにしてみました。とっても美味しいです。

    さて、先週末にライトな断食をしていたのですが、そこでこのスープを飲んでみてとても感じることがありました。
    何と言うのでしょうか。野菜スープを食しているというよりは、エネルギーを摂取したんだという、体の芯に対する満足感を得た、という実感です。また、“量より質”という感じでもあり、断食中の僅かばかりのエネルギー補給のつもりが大いなる満足感となりました。ドラゴンボールに出てくる“せんず”という小さな豆が、瀕死の状態の悟空をあっという間に甦らせたあの場面を瞬間的に思い出させたほどです。

    当然のことながら大量生産ものとは明らかに違います。
    エネルギーと情報の質が違うんだと思います。種類としては“ひらめき”とか“降りてきた”という領域と同じ世界とのチューニングから生み出されているのではないかという気すらします。
    もしそうだとするとアートの世界ってまさにこんな“降りてきた”的であり、農とアートの接点がくっきりしてくるんですよね。実際、優れたアート作品はエネルギーも高いですし。

    農とアートのコラボレーションは素晴しいですけど、もしかしたらビジネスまでもがアートで括れてしまう、そんな方法が実はあるのかもしれない。そんなことを感じました。

    中村礼輝

  2. >中村 様
     おお スープですか そのように形を変えると エネルギーが一層引き立つかもですね 満足していただいたようで うれしいです ああ そうです おっしゃるように 今のビジネスと呼ばれるものは 損得ばかりで おもしろくないですよね アートなビジネス それを目指していきたいですね それには 農業が一番です! 

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