コラム・百姓から見た世のつれづれ

晩秋 お宅ベクトルはどちらに向いてますか?

cba5e2e2.もう 朝・晩が気持ち冷える気がする 夏が終わりを告げて 晩秋がやってこようとしている 畑は夕方 立っていると 風が冷たさを増して 汗にあたって気持いい 畑仕事が楽しい 9月がやってくる 同時に 有機農家が恐れおののく あいつもやってくる そう 端境期・・・ジョーズのテーマに乗って4月と9月にやってくる恐怖の端境期 今年も乗り切れるか 今日の写真 今はまっている ししとうの炒め焼き めちゃうまい

 ドラッグを巡る報道がやたら多い ドラッグに手を出す人の動機は様々だろうけど 快楽と刹那を求める そのベクトルは 自分にしか向いていない 基本的に退屈で 他者や社会に対する興味が元々ないのかもしれない ネイティブ・アメリカンの儀式 スウェット・ロッジで 石を焼き上げる仕事や 儀式の間 何時間もずっと入り口に張り付いて指示をひたすら待つ 忍耐力など ファイヤーマンと呼ばれる仕事は 人のために捧げる というものだ その仕事の間は 自分を扱ってはならない と教えられた それは かなりの苦痛を伴うもので 日常とは違った意識状態を保たねばならない 

 人が生きていく上でのベクトルは 自分だけに向けるのも魂が磨かれないし 他者だけに向けるのも 自らの責務を放棄することに繋がる 僕自身 どちらの世界にもいたことがあるから わかるけど 実際には ふたつにパターンが別れている その① 自らが不足していて他者にかまっている余裕など本来ないにもかかわらず 人に与えることだけに集中している人(もちろん宗教やなんらかのイデオロギーのようなものもこれにあたる)
もうひとつの② 自分に充足感があり 人に与える余裕があるにも関わらず 自分に執着していて 分かち合おうとしない人 その状態が続くと前進せず 魂の停滞が始まり やがて肉体の病気にまで陥る人 こうしたパターンは どちらにせよ 問題を抱えてしまう その中間の道を歩くこと そしてそれは 時と場合によって そのベクトルを時に自分にあるいは他人に と支点のない 振り子のように揺れ動く すごく不安定なものだ その不安定な状態を受け入れて毎回 正解のない答えを探すことは なによりも大変なことだ でも それこそが 生きる意味であり いつかたどり着くかもしれない 魂のゴールだ(目指せワールドカップ!あ 違った)   

1 thought on “晩秋 お宅ベクトルはどちらに向いてますか?

  1. 不安定さを、肯定していると、執着しなくなるような気がします。
    執着しないと、とても楽です。
    例え、貧乏でも、身体が多少動かなくても、家族に弱い人がいても。
    揺らぎの中にいて、生きることの尊さを感じる瞬間がとても有り難いと思ったりします。

    …といっても、綺麗なものも着たいし、おいしいものもいただきたいのですし、欲はたあくさんある自分ですが。ははは。

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