百姓の詩

アメリカ人って・・宿命は変えられる? 吉田あああ!

580424de.jpgアメリカ人って肩こりないって本当??? どうでもよかったですかね・・・失礼しました
今日の写真 ハウスの骨組み完成 朝から一日かけて夕方暗くなるまでやる しかし 何かを作るのは楽しい 必死になって目に見えるものを作るその工程は たぶん人間に与えられた最高の遊びなんだと思う 野菜はどうしても プレッシャーが強すぎて 楽しむという領域にはまだ至ってなくて 修行が足らんわけだけど こうして 建造物を好きなように作るのは 楽でいいな・・・・暗くなって 家に帰るときのこの充実感 明日死んだってかまわない ではなくて 今死んだってかまわない そう思えるぐらい働いて憂いがない状態は最高だ

 村上春樹の長編小説 ねじまき鳥クロニクルの一節(読んでない人すいません) かわはぎボリスの台詞(君には私を殺せない 君にはその資格がないんだ)これを読んだとき これほど残酷な言葉はほかにあるかと思った 人を殺せる資格とは何だろう? ここで言う 資格とは? 僕の解釈では 資格とは 宿命 と置き換えることができると思う 

 生まれた時に 誰の体にも刻印のごとく刻まれているもの それが宿命だ 年を重ねて徐々に自分が背負っているものや 人との違いなどを意識するようになり だんだんそれが見えてくる 自分を客観的に見ることができれば たとえば 顔つきや体つき 雰囲気や
目つき など いろんなものから それを示唆する情報は山ほどある だけど 今の日本のようなふわふわした 普段 命の算段も必要としない社会では そんな重苦しいものとは無縁で生きていけるように感じてしまう 外から入ってくるたくさんの消費と呼ばれる情報の波にぷかぷかと浮いていれば わりと楽しく刹那で 気持ちがいい 何も悩んで生きる必要がどこにある??? そう 最後までそれでいけるはずだ・・・と

 ところがどっこい そうは問屋が卸さない時が誰にでも訪れる 自分が気づかないだけで 影のように自分の後ろをがっちりと掴んで離さないのが 宿命であって いつかはそいつを 自分の手で真正面に置いて はっきりとその中身に頭を突っ込んでみなくてはどうにも前に進めない時が 必ずややってくる そして それに真に取り組み始めた時から 自分の表面上の性格(パーソナリティ)と魂の葛藤が始まる それは 答えのない 永遠に続くかもしれないような長い長いトンネルのようで その人を孤独が包み込む そして 誰の手にもすがることのできないゲームだと理解して すべてを受け入れ始めた時から 宿命というものの意味合いが初めて 変わってくるのに気づくはずだ 

 そこでようやく 自分の人生のかじ取りは自分が握っているんだ 変えることができる んだという法則を生き始めた時に じわりと深いところから 喜びのようなものがやってくる 占いや宗教や外の世界の情報に惑わされることなく 自分でやっていける感覚を掴み始める・・・・ そして 大丈夫だと思った時に また別の扉が開いて まっ逆さま・・・とまあ 永遠にそれが繰り返されて 魂は磨かれていくのでしょう(結局何が言いたかったのか忘れちゃった)

 ・・・・だから 中沢とつーりおはもういないんだから 守備の要は自衛隊から引っ張って来いと言ったでしょ!(あ サッカーの話ね) 国のために死ねる覚悟ある人をセンターバックにしないと!!!レッド喰らって落ち込んでてどうする?吉田ああ!

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