百姓の詩

ヤーコンとさつまいも 子供のころ・・・・・冬に

12月6ヤーコンとさつまいも

今日の写真 ヤーコンとさつまいも です どちらがどちらかわかるでしょうか? 右側がさつまいも 左がヤーコン 見た目は似てますが 中身はずいぶんと違います ヤーコンは生で食べられる芋で さつまいもは御存知 ふかして食べるのが一般的ですね 今週両方入っています どうぞ よろしくお願いします!

 冬で寒さのせいか 膝がぎしぎしと傷みます・・・日によって 曲がりにくかったり なんとか曲がったり まあ 金属疲労のように いつか使い物にならなくなる日が来るでしょうが 用は 畑がなんとかできればそれでいい・・・と思います 12月は 世間ではいろいろと忙しいでしょうが 百姓仕事もある意味 農繁期ではもうないのですが それはそれで わりと忙しい時期です この12月中に すでに 来年の春の準備に入ります それが うまくいきますと その流れで 夏へとバトンタッチがスムーズになります・・・ 焦る時期ではないのですが(どうせ来年春になったら焦っても追いつかなくなるのですし)ぼちぼちと仕事を前に進める時期です・・・

 冬になると 毎年 そうですが よく考えるわけで 将来のことも考えますが いつしか子供のころのことをよく思い出します 僕の人生はおそらく 折り返し地点を超えて 残りの時間は今までよりも確実に少なくなっているでしょう・・・ひとつ歳をとればとるほど いかに 自分が愛情を注がれて育ったのか その環境の優劣の問題などは たいした問題ではないことがはっきりとわかるようになります 自分には子供はいません それで良かったかどうかはわかりませんが 今後できる可能性もないでしょう とすれば 残りの人生で 何を残せるのか 何ができるのか・・・自分が子供時代に受けたいろんなものを この世に還元できるようなものを 果たして残せるのかどうか・・
たぶん 多くの大人はみんな そう思って日常を過ごしているのだと思います ・・・もうすぐ 誕生日がやってきて また ひとつ歳をとります・・・・ 子供の頃 貧しい環境で育ちました 村と名のつく舗装もないようなところです
大学に入った時に 幼稚園からエスカレーター式でそのまま大学にまで来る人たちが多くいるのを見て 身分の違いのようなものを感じました そして 世の中に出ると 育った環境の違いというものは 歴然としていることもよくわかりました・・・・・若いころは みなさんそうでしょうが それを恥じて 隠すわけですね・・・・しかして 金があろうがなかろうが 育ちがどうであっても 人が生きる上で そうした問題は たいしたことではないのでは? という領域もあることを 僕は見つけることができました そして 自分のやりたいことをやろうと思って 今は 百姓になりました 今は 貧しい環境で育ったことがある意味 僕の中の大事な誇りの一つになっています 豊かであることの不幸は 上は下から見上げてよく見えますが 下はけっして見えないということです 貧しさや差別というものを知っていることは 人の心の幅を広げます 人に優しくできます それが演技ではなく・・・・

 そんなことをつらつらと思う 夜の冷え 下から足元に忍び寄ります・・・・

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