自然や生態系

適期のほうれんそう じゃが植えまくる この国の歴史建造物の未来

2月23ほうれんそう適期
今日の写真 適期を迎えている ほうれんそう 今年は寒くて 味が濃くてうまい お勧めは生でこのまま ばりばり食べること しゃきしゃきした食感がたまらない・・・

 さて ここのところ 雪が降ったりで全然 じゃがいもが植えられず しこたま残っていた種イモをさばくべく 朝からがんがんじゃがいもを植えまくる 植えて植えて植えて とひたすら同じことを繰り返すこの作業に 知性はほとんどいらない 鼻歌交じりに余裕をこきながら仕事していると たまに 植える品種を間違えそうになったりして いや 楽しく家庭菜園やっているんじゃないんだ! 一年に一回の じゃが植えに集中しろ! と 自分を鼓舞することになる・・・今日は シャドークイーン メ―クイーン キタムラサキ という 何やら 服飾ブランドが と思えるような おしゃれげな品種を植える まだ 残りは100キロ近くある まだまだ じゃが植えは続く・・・

 疲れきって 家に帰る夕方6時ごろ テレビの報道番組にて 檜(ひのき)の木が日本全国で減っていて 神社仏閣などの建て替えに苦労している様子をやっていた 伊勢神宮が20年ごとに本殿を作りかえるのは有名な話 それにより 技術の伝承も含めて 伝統の技を営々と受け継いでいこうとするものだ しかして それに使われるのは あのなかなか手に入らない 檜 の大きな木がどんどんなくなっているわけですね ま ちょっと考えれば当然な話 第一次産業である 農業 漁業 そして 林業 ・・・・この3つの中で 最も悲惨な業界が 林業 ・・・日本の山は日毎に荒れ果てているのは 毎年花粉がぼこぼこ飛びまくる春を迎えて 誰もが知る事実だ 伝統的な木材を作るのには 500年単位の長い長い計画が必要だ しかして 今の我らの世は 10年後はおろか 来年どうなるのか?を 正確に自分の人生設計を含めて 見通せている人は何人いるのだろう? 500年後?は? という 無責任な時代が 今だ 日本の伝統 というものを 今 どれだけの人が真剣に考えているのだろう・・・・農業で言えば 水稲 という技術 先日の講演の時でも話したけども この 水稲という技術がいかに凄いものなのか それは 同じ場所で 永遠ともいえる 連作が可能だということだ 千年単位で 同じやり方で 米はできる もちろん 毎年 種もみをとって 繋いでいけば その循環は永遠に恩恵をもたらすのですね これは たぶん だけども この星である 地球をデザインした存在が 生命の基本として編み出したものだと思う このように この星には 生命という営みが 永遠に循環して巡ることの可能な仕組みがいくつもあって 僕らはこれを 利用すれば ある程度は楽に生活ができるはずだ・・・と 僕は思っている 

 なぜ 伊勢神宮のような 日本の文化の根幹にかかわる 建造物が 木 を中心にしているのか? 石ではないのか? それは この国の生態系を見れば一目了然 この国は 本来 森の国なのだ そして 田園風景があるのが 人が暮らす 里 というものだ でも 人はコンクリートのある 都市に住み 田舎は軽んじられていて
その傾向はまだまだ続くだろう 都市に住む頭の良い人たちが どれだけ こうした 切実な問題を論じようとも
問題提起をしているその場所ですら 空調設備のあるビルの中 という事実が すでに 絶望的な結論を物語っているのだと思う(本音では誰も田舎はいやなのだということですな・・・・) 先の番組では すでに アフリカの木材を輸入して こうした歴史建造物を作っているという事実に 僕は衝撃を受けました それって 意味あるの?

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