コラム・百姓から見た世のつれづれ

果菜のポット取り 今の日本は何が成立する? 僕が目指す(故郷)

4月11果さいポット取り
今日の写真 果菜のポット取り 夏の野菜は 実が成るものが多い 茄子・ピーマン トマト などなど これらを 果菜(かさい)と呼びます 栽培期間が長く 小松菜 など 葉物とかとは根本的に 栽培の仕方は違います 種を播き この写真のように 発芽させて これぐらいの大きさに成った時に ポットという手のひらサイズの丸っこいものに 植えかえて 苗を大きく育てていきます そして それを 畑に植える という段取りですが 苗半作と言われるように 苗の出来がその後を左右します なので 気合い入れて 苗を作るのですね 今日はほぼ 一日かけて 茄子やピーマン 何種類も 植えかえました・・・・夏が来ようとしてますね・・・・

 今の日本では 何が成立するのか?・・・・ずっと しゃがみこんで 黙々と一人で先の苗の植えかえ作業をしてますと いろんなことを考えます もちろん 来年に迫った 直営カフェのことや 住む家の問題など 我が農園を取り巻く状況は 明るい未来もあり 不安もあり そして それは何も今に始まったことではなく よく考えれば 農業という世界に飛び込んだその日から 永遠につきまとう問題でもあります 農業は 今日のような 足元の地道な仕事ですが だからこそ 見えてくるものがあるように思います・・・・さて 先のテーマ いったいぜんたい 今の日本では どんなものが成立するのか? 成立しうるのか? ・・・・・国家のために生きる → たぶん一番最初に成立しないテーゼなのは間違いないでしょう 先の戦争から約70年 幸か不幸か 我が国民は 日本のことなど考えることをやめてしまったようです・・・・ 自分のためだけに生きる → これ 成立するでしょうか? おそらく 成立する人はけっこういるのではないでしょうか? 何割ぐらいでしょうか? でも 自分のためだけ というところに 抵抗を示す人は多くいると思います では 次 社会や地域に貢献するために生きる → 何やら 大きな会社の標語みたいですが・・・これ 成立するでしょうか? たぶん 今の若者の多くを捉えているテーゼでしょう 彼らは 自分のこと 自分だけのことを考えて それを満たす ということに興味を覚えない数は多いように思います ビルゲイツのように 社会的に成功した人物が 晩年 私財をなげうって 社会貢献するその背景にあるようなもの(義務と権利 キリスト教的価値観 など) は この日本にはありませんが ゆるやかな 帰属意識と 村社会への郷愁 といったものが 今の若者の中にあるように思います それがゆえに 農業的なものに若干の憧れがあります

 家族のために生きる → これ今 成立するでしょうか? 震災が起きた時に その人にかかった災難と困難の度合いによって随分と差があるでしょう 残念ながら 日本の多くの田舎は 地域のつながりはなくなりました
それは 農業の崩壊と共に失われてしまいました むしろ 田舎では その世代の価値観の違いによって 家族がバラバラになってしまっているのが見てとれます 休日に くるくる回る回転寿司 成田の街中にあるそうしたところに行くと 3世代の家族がテーブル席を囲んでいますが 10代の子供は終始 携帯端末を片手にゲームやら自分の世界に入っています そして その親世代は そうした子供を見ながら 特に何を思うでもなく 休日は 仕事からいろんな雑務から解放されてぼーっとしてます そして その親 おじいちゃんおばあちゃんは たぶん一番 その時間が有意義に感じていると思いますが それでも 視線すら合わそうとしない孫との距離を どうにも埋めようがありません・・・・ (公的なもの - 私的なもの) たぶん 今の日本はバランスを失っていると思います 
 
 僕自身はどう思っているのか? 今の日本は最低だと思います 国のために何かするなんてまっぴらごめんです どんなテーゼであれ 何が成立するのかすら 疑わしく しかも誰もそれを示さず(だいたい大人が誰一人として明確なテーゼなりをもって日々生きていると言えるのか?) それを深く考察すること自体 ドロップアウトと同義に近い・・・ 今のシステムは我が国歴史上 最低なのではないか?とさえ思います(平安時代のほうがましじゃね?)
しかして 守るべきものはあると思います それは 森 に代表される 自然へのアプローチの仕方です たぶん 日本人が最も 優れているものの一つが 生態系を受け入れて それと共に生きる術だと思います その包み込む優しい視線は 世界のどの文化よりも 繊細な気がします(僕が体験したネイティブ・アメリカンの文化は とても荒く激しく そして強いものでした) 僕自身 そこに帰りたい そうした森のようなところに帰りたいという思いが 年々濃くなります もちろん 今の 田舎にそんな場所はありません 今の田舎で行われている農業の大半は そうしたことと関係なく 薬をぶちまいて農産物を育てて 自然に対する敬意などないように思えます(残留農薬がなければ問題なくね?ってことです) ・・・・・僕は 自分が死ぬまでに その場所を見つけたい あるいは 作りたいと思っています はい それが 僕の目指す (故郷ーふるさと) です・・・・合掌

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