百姓の詩

枯れたえんさい 鹿島神宮その聖なる・・

11月12枯れたえんさい
今日の写真 これは 枯れたえんさい 夏の野菜はこうして 寒さに当たってすべて枯れて行きます 同じく この夏活躍した茄子・ピーマンも枯れてきました 夏の野菜はこうして 寒さにあてて枯らしてから片付けます でないの 根っこが抜けないのですね・・・種から育てて 大きくなって葉っぱを広げて 実をつけて 最後は枯れてその役割を終えます こうして 1年というひとつのサイクルが終わります そして もちろん 自分もひとつ年を取ります・・来週はもう 12月 今年最後の月になります 今年もまあ いろんなことがありました 来年もまた いろんなことがあるでしょう・・・・

 昨日 日曜日はプライベートな用事で 鹿島神宮に行きました みなさん ご存知でしたでしょうか? この神宮には(さざれいし)があるのです さざれいし とは わが国の国歌である 君が代 の中に出てくる あの さざれいし です・・・ そうなんですね 実在するのです 僕も ここ成田に来て 初めて 鹿島神宮に行き その 現物を見るまでは知りませんでした そして さらに驚くのは 君が代に出てくるぐらいですから もっと 丁寧にというか 貴重なものとして 祭られているかと思いきや そのすぐ横にある どうでもいい鹿の大群たちのほうが よほど 貴重なぐらいに守られていて 参拝客も 隣のみやげ屋さんで せんべいか何かを買って 鹿に食べさせているのですね・・・いやいや さざれいしのほうが大事でしょう? と 思わず つっこみたくなる気分満載なのですね・・・(今現在 鹿 も重要な獣害のひとつです)

 鹿島神宮の 奥宮 は 凄い・・・ こうした場所は 鳥居のある境界から 空気がだんだんと澄んでいき 社が近づくにつれ その精妙さが増して行く 気の流れがはっきりとした意味を持って流れているのがわかる 奥宮の後ろの部分に回り込むと しっかりとした結界が張られていて 外から 少しだけ手を中に差し入れると 中は別の世界が開けているのがわかる ふーむ そこに ほんの少し いるだけで 背筋がぴんと伸びて 背中に残る普段の疲れが 流れて行くのがわかる ひとつ またひとつを ゆっくりと呼吸をするたびに 新たなものが体に入ってくる・・・
 いわゆる 御神体 と呼ばれるものが 神宮というところにはあるわけだけども 僕の感じだと それは 物 そのものではなくて たぶん 空間 を祭っているように思う ダライラマに会いに行った時に感じた あのチベット密教なるものは たぶん 教義 があって そこには人よりも 教則や法則を大事にしているように感じた 僕がやっている ネイティブ・アメリカンは どちらかといえば 自然や精霊と呼ばれる あちら側の道(彼らは赤い道と呼ぶ)とアクセスするやり方だ それに対して 僕ら 日本の伝統的なものは 恐れや 畏怖 という感情が支配していて 僕は こうした聖なる場所に行くと 恐怖すら感じることが多い 簡単に言えば アクセスしようという意思ではなくて 恐れおののいて 敬っている というように思える(その意味で言うと 偶像崇拝を禁止しているイスラムに似ているのかもしれない・・)

 もうすぐ 新しい年がやってくる いやはや・・・ちなみに おみくじ引いたら 凶 だった うーむ・・・まだ しばらくは カフェの物件は見つからないようだ・・・今は基礎固め うーむ・・・うーむ・・・

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA