コラム・百姓から見た世のつれづれ

白菜2番手定植 出荷停止に思うこと 新・大人の定義

2月13春白菜2番手定植
今日の写真 明日からまた積雪の可能性が・・・とのことなので 畑仕事をできるときにやっておかねば ってことで 白菜2番手を植えつける これは だいたい40メートルの長さのベッドで マルチは110センチ それに3列で植えていきます そして パオパオという皮膜資材をかけて 密閉トンネルにひもをかけて終了 今日もマルチはトラクターで僕が張ったのだけども それ以外の仕事は最後まで 研修生Aさんに一人でやってもらう その間 僕はレタスの植え付け・・・農作業というのは とにかく 一人でやらねば何も身につかない 大きな農園や法人などでは 誰かのサポートや 簡単な作業ばかりを経験して 独立してすべてを一人でやるようになって困ることも多い なので 我が農園の場合 どんどん 一人ですべてをやってもらい 習得を急がせる まだ じょれん(くわ)の使い方に難があるので スムーズにいかないが 午前中でなんとか終わる・・・

 さて 今回の出荷停止・・・問題はいろいろと考えさせられた やはり 天候に頼って仕事をしているんだ という当たり前の事実 正直 僕のような有機農家として10年以上やっているプロであれば 天候がどうあれ 年中野菜は出荷するんだ それで当たり前だ! 端境期? それがどうした 言い訳にもならん! そう思って仕事をしています そうでなければ 務まらない仕事なのですね しかして やはり こうして頭を叩かれます・・・自信とプライドと傲慢さ 境界に気をつけろ!
 そして 今回は 僕はお野菜は出荷できたのですけども 配送のヤマトさんが荷受できない という事態・・・もちろん こんなことは初めてだったので これまた改めて 結局のところ 誰かに何かを常に頼っているんだ という事実・・・ふー そういうことです そして 今回こうした事態を受けて お客様が暖かく了承くださった という事実・・・(キャンセルが出るかと思いましたが杞憂に終わりほっとする) いろんなものに 頼って我が農園は成り立っているのですね そして 自分が いかに脆弱な基盤の上に乗って日々仕事をしているのか ということも突きつけられました だからこそ 自分の力だけでは 限界があるのですな そこのところにおいては 最後には何かに委ねる勇気が求められているんだと思いました やはり 最後は 祈ること・・・・人に与えられた ほぼ唯一の武器・・・

 大人の定義・・・・若いころから あらゆる苦難や感情やその他もろもろ起きてくる物事に対して いつもクールに 何事もなかったかのようにふるまい タフにかっこよく解決に導くこと それが 大人であり そうなりたいと思ったわけだけども(もちろんそんなことできようもないけど) 40を過ぎて 思ったことは (うーむ そりゃ違うかな?) でした では どうか?といえば (その時々の感情やありのままの姿を適切な方法で表明していること) というのが 僕の今の 大人の定義 になりました 感情や本心を 隠し続けること は 周囲を損ない傷つけている たとえそれが よかれという気持ちからであったとしても・・・そして それは 年を取り いろんな立場や社会的なものを背負えば背負うほど 自分の内面を吐露するのは難しいことでしょう できないことはできない そして 不快だと言える事 同時に その責任は私にあると表明しながらできなかった結果にも責任を負うその姿勢・・・それが自分を楽にして 同時に 周囲も救う方法なのだと思います・・・(ま できませんけどね いざとなったら逃げるが勝ち・・・いやいやそれでは元の木阿弥・・)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA