コラム・百姓から見た世のつれづれ

かぼちゃトンネルすそあげ 持てない男の生き方その1

5月23かぼちゃトンネル空ける
今日の写真 かぼちゃ 前半戦のトンネルのすそをあける もう そんな時期になりました こうして 夏がやってきます・・・これを書いている夜 外は雨 久方の雨だ 夜の雨の音はいいよね 雨音がしているほうが より 夜の静かさが際立つようだ 心が落ち着く 昼間 仕事やらなんやらで いろんなことが日々起きる中 夜がやってくると 何の解決にもなってなくても なんだか いったんそうした問題が後ずさって 一息つける気がする もちろん そんなことは 甘いわけだけども そうやって 少しでも 心を落ち着けている時間が長いほうが 幸せなんだろう

 小学校 中学校 高校 幼少のころから10代の青春時代にわたるまで いわゆる (もてるやつ)というのは 足が速かったり ちょっと不良ぽかったり 逆に優等生ぽくなかったり・・・その もてる才能というのだけは 持って生まれたものだ ということは すでに 中学ごろには 男はみんなわかり始める そして 大半の男は (自分にはそんなものはなくてなんとかするしかない)ということがわかり始めて 一生懸命 勉強したり 自分の生きていく場所ややり方を もてるやつを密かに嫉妬と羨望の気持ちを持ちながら 学んでいくわけだ・・・そして 多くの男が報われない努力に いつしか 諦めを受け入れていくわけです

 そして 時は過ぎて 大人になり なんとか社会の中で 自分の生きていく場所を必死に確保して なんとか好きになった女性の人と家庭を作って 一人前になっていく でも ふと思うわけです だからといって (もてるやつになった)わけでななくて あのときのまま どこにも自分のかっこよさなんてない ということが 自分にはよくわかる 知っているわけです・・・・男性にとって 内側を磨いて かっこよく生きていく というのは 何が難しいって それは 社会的なものと けっしてリンクしていない ということに他ならない 生活を安定させて 家庭にとって 良き父であり 地域にとっても 名士であり 会社にとっても優秀な人材・・・・それは 外側の世界の話であって 魂の問題ではない 魂を磨きながら 自分の赴くままにかっこよく生きる それはいばらの道であって 実際のところ 世間的に見れば むしろ 哀れみを感じるような生き方だ だからこそ 男は もてなかった幼少のころを 取り戻すかのように 権力を渇望し お金を集め 人や組織を動かしたり強くしたりして 自分を満たそうとする・・・でも こうして 夜 雨音に耳を傾けていると 知っているんです 誰よりも 自分はただのもてない男だということを・・・あのころのように・・・たぶん そんなことを感じている人もいるかな と思った こちらは何ももたない 百姓でございました・・・
(で お前はどうなんだ?と問われれば 持てない才能には誰よりも負けない だからこそ一人で百姓やってんだ
これ以上俺を追い込むなよ・・・ってことです)

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