百姓の詩

きゅうり 梅雨 日常と非日常 

6月4きゅうり
今日の写真 さて 夏野菜がそろそろ出てくる時期です 1番手はまずきゅうり君の登場です 最初は数がそろいませんが しばらくしたら どかん!ときまして 例によって 収穫しきれません 基本 きゅうりという作物は 毎日の収穫が必須です 専業農家は 朝と晩に収穫します しかして 我が農園の出荷は 週に2日 保冷庫もなく 収穫しても置いておくところもなく なので 当然 きゅうりはどんどん 大きくなり それに伴いまして 枯れていきます
 なので 次々と種を播いて 植えてをこの夏の間繰り返して なんとか 早い時期に勝負を決める作戦を取っています 都合 7回の種まきで すべて 露地にて地ばえ栽培 どんどん 枯れていくきゅうりを尻目に その次の番手が控えて カバーしていきます  決して後ろを振り返らない作戦なのですね(まさに我が人生 私の前に道はなし 私の後ろには累々と屍が・・・・)

 さて 梅雨に入りました 今日は夕方からぽつぽつときまして 今は 本降り・・・明日の出荷はずっと雨の中でしょうか・・・・今日はもう ひたすらに 春野菜の片付けでした もう 春は終わり 夏が来て 来月からは 冬の作付けが始まります 本当に季節の過ぎるのは早い 一般の方もそう思われるでしょうが 僕のような 有機農家はもっと早く感じます それこそ 飛び去る というぐらいのスピードでもって 季節は飛んでいきます・・・そして 1年が終わり ひとつ年をとり 腰が痛くなり 正月を迎える・・・・(ああ無常)

 日常と非日常・・・・田舎には 日常しかありません 僕のように 一人で暮らして 畑と家とを往復する日々を送っていると イベント性は皆無でございます 酒も飲まず タバコもすわず ギャンブルはこの生活そのものなので 賭け事は一切手を出したことはありません・・・研修生Aさんと会う以外に 人と会うこともなく 話すこともなく 基本 静かに静かに 畑仕事をやっております 都市に生きている人の多くは なんらかの 非日常性を感じて 生きていることと思います しかして 非日常は どこにも 連れて行ってはくれません それは 年を重ねれば わかってくるのですね そして 半紙1枚を重ねる その日常の当たり前の中にこそ 実は 大いなる スペクタクルが隠されているのだということがわかってくると むむむ と なってくるわけです これこそが あたりまえの日常の中に隠された 非日常なのだ ということが見えてきます そして これが本来の 修行 と呼ばれる領域のことです・・
 僕は そこに気付いたときに 農業 という仕事の持つ 素晴らしさと奥深さに 心底 感動しました・・・どこかの 世界の果てに行く必要もなく チベットの洞窟に篭る必要もない 呼吸を整えて瞑想し はるか彼方の意識の奥深くへ 潜る必要もない 淡々とした 日々の農作業こそが もっとも 神聖で奥深い非日常なのだということに至りさえすれば たぶん 農業者本人は 救われることでしょう 僕はそう思います たとえ 誰からも見向きもされず TPPや空から何が降ってこようとも 関係ありません そのようにして農業をやること 雨にも負けず・・・という詩がありましたが そうしたことを意味してるのでしょうかね・・・合掌

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