コラム・百姓から見た世のつれづれ

赤水菜 ビル解体業と農業は同じ肉体労働ですが・・・・眩暈がくらくら

5月23赤水菜
今日の写真 今年始めて作ってみた 赤水菜・・・・しばらくお野菜セットに入ります すでに5月も終盤 かぼちゃの後半戦がようやく終わり際 前半・後半合わせて 1000株には届かないぐらいか・・一人なので なんせ 植えるだけで 時間がかかる ふー・・・時期的に 今年はもう トマトはあきらめざるを得ない 植えてもいいのだけども どうせ 芽かきなど 管理ができないに決まっている 希望的観測ほど 百姓を追い込むものはない できないものはできない すっぱりとあきらめること 10数年で身に着けた 百姓として生き残る知恵である

 実際の田舎で 農業をして 生活をしていくこと・・・それは ある意味 田舎のヒエラルキーで最下層に位置することでもある 都市部でも階層はあるだろうけども(詳細は僕にはわかりません) 田舎には厳然としたものがあります 役場・郵便局・を頂点に(ここにおられる人たちは現人神として奉られます しかして都市部はそうでもないけど 田舎の郵便局員の態度のでかさには参るね) 会社勤めをしている人が続きます 肉体労働者が下位に位置するのは 都市と同じ その中でも 建築土木や 左官 電気工事などなどのブルーワーカーは 公共事業が下火になったとはいえ まだ ましなほうです そして 当然 その肉体労働の最下位にいるのが 農業者というわけで その中でも 兼業農家が圧倒的に勝ち組なわけですね(食うのに困ってない時点でほぼ勝利を手中にしているわけです) でもって 僕のような 新規就農 そして 専業農家 何か他に収入のあてはない とくれば もう 身分という領域には当てはまらないのですね・・・ま 私が長年使用している (新規就農者に人権はなし)に象徴されるわけです・・・

 ところが・・・都市部の一部においては 田舎の最下層に位置する 農業 というものに 憧れならぬ 何かを見出そうとしている雰囲気があるわけです 60年代に始まった 人間性回復運動ならぬ ニューエイジや現代心理学を発祥として 資本主義に対するカウンターカルチャーが始まったのが 80年代~90年代 そこから オーガニックやら ロハス 最近でいえば 山ガールなどの現象に繋がっていくわけです なので 都市に行って 百姓である僕が 講演のようなものをすると いったい全体何かはよくわからないのですが 感動したり 聞き耳を立てる方が少なからぬおられます 僕にとっては 日々のあくせくとした労働に過ぎないもの それが 農業なのですが その あくせく とした部分だけが 抜け落ちて 伝わり なにやら 農業なるものが おされな領域として捉えられているのですね・・・まったく妙な話です ビルの解体工事をやってにっかぽっかをはいている 中卒の金髪ちょい刺青ピアス兄ちゃん のことを おそらくはおされな時代的先端にいるとは誰も思わないのに 僕からすれば やっていることは ビル解体業となんら変わらないあくせくした肉体労働(当然解体業のほうが実入りはいいはず)なのに 彼らにスポットを当てる雰囲気はありませんわな・・・たまに そうしたギャップにめまいがすることがあるのですね・・・くらくら
 
 僕自身は そのように思って ひたすらひっそりと田舎で農業を展開しているわけですが(できるだけ波風立てずに) 正確に 農業というものを理解していただいた上で・・・と 思うことは 最近はもうあきらめております
たぶん 無理でしょう IT産業なるものが なんとかひるずの広いパーティ会場で夜毎 ドンペリを仕事終わりで空けている的な勘違いがあるように(でも田舎の人はそう思っている人は多いのですよ) 肉体労働 というものから すでに銀河のごとく遠く離れてしまった都市部においては 農業というものを イメージでしか思い描くことしかないように思います そして その世界では まさに ディズニーランドと同じく夢の国・・・ きれいな空気に包まれて 晴れ渡った大空の下 きれいなキャベツを収穫して 楽しく畑仕事をする 雨が降ったらお休みで 縁側に座って ゆっくりと豆をひいたばかりのコーヒーをすすりながら 雨音をBGMにしてくつろぐ・・・(そんは日は15年やって一日もないのだけどね・・) 

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