百姓の詩

畑をさくる 組織と一匹狼 献体・・・医療の命と農業の命

9月19さくる
秋本番・・・畑をひたすらさくる さくる というのは この重たい道具で畝間を中耕すること・・・葉物やら大根やらの畝間をひたすら こうしてひっぱり回して畑の中を歩くのですね・・・・この時期の風物詩です・・

 陽が落ちるのが早くなる 気づけば夕方6時ですでに周囲は暗い あわてて途中で植えていた苗たちを育苗ハウスに戻して一旦家に帰り 15分でシャワーを浴びて 車を箱バンに乗り換えて 明日出荷に使う にわとり村さんの卵を引き取りに行く 途中 コンビニに寄って 適当におにぎりやらパンやらを買って 運転しながら食べる これが今日の夕食だ 卵を持って帰ってきて すぐに 明日の出荷準備にとりかかる・・・ダンボールを数十箱作って出荷台帳を見ながら順番に並べる 卵をパッケージングして 冷蔵庫に入れる そして じゃがいもを保冷庫からひっぱり出してきて 袋詰めして ダンボール箱に順番に入れていく 今日できることが終わったのがついさっきのこと 時間はすでに深夜11時を回る・・・・すぐに パソコンを立ち上げて メールチェックなどを行い ブログを書かねば・・・と思い ふと 気づくとすでに12時を回っていた・・・うーむ 疲れて寝てしまったようだ・・・いかんいかん すぐにブログを書いて 出荷準備に入らねば・・・ ブログを印刷 野菜便りを書いて レシピもつける 請求書を作って 伝票作成にはさんでいくetc・・・今からやって たぶん 朝5時までかかるか・・・うーむ 今日も徹夜か・・・これが 出荷の前日の様子です・・・消費者と繋がる 言う事は簡単ですが 直接販売をしていくということは 畑で野菜作ること以外の部分が大きくなるということです 畑仕事は全体の一部に過ぎません その覚悟がないようでしたらば 僕のように個人の農家として 一匹狼にはなれません どこかの組織に属すのが賢明ですぜ・・・(一匹狼は勧めませんがね・・・)

 献体・・・という言葉があるそうな 僕は最近知りました 自分が死んだ後 その遺体を大学の医学部の解剖実習に利用されるようにすることを 献体 というらしいのです・・・医学部のたしか 2年生の必修科目らしい 医学を志す全員が行うことのようで まあ 人体の中にものをすべて時間をかけて 実際に見ていくらしいのですね・・・それを行う最初に 全員で黙祷を捧げて 数人のグループに一体ずつそのご遺体が並んでいる様はなかなかのものでした・・・医療の現場に そうした 命 というものを扱う際に必ずその心得のようなものが 学生相手に唱えられていること 素晴らしいなと思うと同時に 僕は うらやましいなと正直思いました・・
 同じ 命 を扱う この農業という仕事 僕は食糧としての野菜 口から入るものを作っているわけですが 今の現代農業に 命を扱っている という使命感のようなものはあまりないように思います 昨今はことさらに ビジネス面だけが強調されていて 命 という側面は ほとんど聞かれません 実際の 田舎で畑仕事をやっていると 高尚な世界から遠く離れて むしろ もっとさげすむうような世界が 広がっているのが現状です
 僕のいる 有機農業 というのは たしかに それよりかは 先輩方の功績もあるでしょう より 命や環境といったことに重きを置いた議論がかつてあったように思いますが 昨今は ブランド化や付加価値的な面ばかり強調されすぎているように思います そして たぶん・・・そこにとらわれていると 最終的には より大きな資本との戦いに巻き込まれて 足元をすくわれる様な気がします 
 医師 という職業になれば 高収入そして 社会的な地位も手に入れることができるからこそ 理想の世界 命を尊ぶ余裕がある とも言えるでしょうか 来年どうなるのかわからないこの農業という世界 先の茨城での大雨による被害を被った農家の方たちに その同じ次元で 命を扱えるだけの余裕があるでしょうか・・・常に目先 まずは 目の前の作付け 収穫 そして 収入・・・そしてようやく来年を思う・・・その 目先の短いサイクルの中に 命 を扱うだけの 長いスパンはあるでしょうか・・・それは 百姓 そのものの責任なのか それとも この業界としての責任なのか それとも そんなことは 全く関係ないのでしょうかね・・・・秋の気配満載の 足元が冷え始めた夜ですな・・・・はー 今から出荷伝票作成なのだあ!

 

 

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