コラム・百姓から見た世のつれづれ

一年前の今の家 農業の未来~軽く洗練そしておされにってか?

11月7新たな家
今日の写真 昨年の11月・・・昨年一杯で借りていた古民家を出ねばならなくなり あわてて探してようやく見つかった今の家 初めて訪れたときの写真です あれから1年 あっという間だ いつも言う事だけども 僕は住まいには何の興味もない 今までの人生の中で 敷地300坪以上 大理石の玄関に吹き抜けのロビー時価総額うん億円 という物件に一年以上住んだ事があったけども(僕が金を出したわけじゃない) そのときにも何も思わなかった(一番ひどいのは淀城跡のぼろアパート物件家賃8000円をその部屋だけ幽霊出るので半額4000円!)
 などなどいろんなところに住んできたけども 今はもうさらに何のあれもない ただ 畑ができれば良い 出荷ができればいい それだけ・・・しかして この今のところも数年先にはどうなるのかはわからない 正直 もうどうでもいい気がする 飲食店と畑をしていくことが命題なのだけども たぶん 最後まで住む家というのが課題のひとつになるだろう・・・

 農業の未来 というものを思ったときにだけど・・・たぶん  僕のような農業者がこうなったらいいな というような世界にはならないだろう と思っている それはもう この業界に入って10数年・・・農業の衰退は明白なことだけども 同じく オーガニックを標榜している僕のような農家にとってもいいことばかりではなかったと思う(それでも食べていけるようになっただけでもましか) とある 超有名アートディレクター(そういう職業ってあるの?)さんが 家庭菜園にはまっていて 週末になると どこかの田舎のちょっとした畑に小さい息子さんと奥さんとで嬉々として出かけている様子をなんかのネットで見た 都市における最先端のお仕事をして そして 今はこの畑のまねごとをしていることで より クリエイティブでいられる 本人は刺激を日々受けているとおっしゃっていた・・・
 ふーむ・・・たぶん こうした人がそのうち なんかのきっかけで農業の 分野に入って クリエイティブなる発想で持って農業を根本から変えていくのでしょうな・・・生産 というものに文字通り 命を賭けて生活を賭けて戦っている僕のような農家にとっては 今のこの農業の世界と言うものは たぶん 重い のでしょう カフェに出て店に一日立って 消費者と接していると なんというんでしょう 温度差に唖然とすることがあります それは 消費者がどう ではなくて たぶん 僕が経てきたその過程 プロセスが重かったのだ と最近気づくようになりました・・・・研修生は奴隷 僕はそう思ってやっていたし まあ そのように扱われてプロの有機農家になった人はそこそこいると思います 当時はそんなものだし 殴る蹴る を実践していたところもあります (教えてやるんだからちゃんと聞けよ!) これ研修生時代に実際に畑で面と向って怒鳴られた言葉です 当時はそうしたものだと思ってたし 農業教えてもらうに 自分には人権などないのだと思っていました・・・
 
 たぶん もっと 軽く 洗練されたような形で今後 農業というものは広まっていくのでしょう そして おされになっていくのでしょう・・・・
(畑の横に石作りのおされなキッチンスタジオのようなものがあって その畑では半年前から週末ごとにやってきて野菜作りを一生懸命やってきた そして 半年後 その友人やら身内を集めてのパーティが開かれる そう その当日 野菜作りを半年かけてやってきたその彼本人が シェフとなり 腕をふるってもてなすのです
素材は本人が手がけたもの そしてその場で収穫して 畑の横に急ごしらえの屋外のレストランが開店 彼が手塩をかけて煮込んた自家製トマトパスタでもてなす・・・都市から高速を飛ばしてやってきた友人たちは 長靴にタクシードといういでたちで 当日シェフの半年間の苦労をねぎらいながら しっかりと煮込まれたトマトソースに舌鼓を打つ・・・) 僕が今 ふと思いついた 未来のオーガニックの畑 編です ここには 生産に対する苦労も 資金や暮らしに対する苦悩もなく 汗すら まるで東京マラソンに参加するごとくのさわやかさです 
 そんな時代が来たとして その隣で朝っぱらから必死にくわもって畑やっているじじいの僕がいたとして そのとき 何を思うのでしょうな・・・嫉妬? 憧れ? 憐憫(自分に対してか?それとも?)

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