百姓の詩

収穫コンテナ20年前は・・・農業は身をよじってこそ・・・

1月16コンテナ
今日の写真 これは野菜の収穫などで使う 収穫コンテナ と呼ばれるもの 資材の買い付けに専門店で見かけたもの 何がって 昔に比べたら高くなりました・・・僕がこの業界に入った 20年前の研修生時代 たぶん 378円ぐらいだったと思う 約倍ですな・・・・毎年 数十個単位で買い増していくわけですが じゃがいも保管だけで 約150個 その他で何個あるんでしょうか・・・500ぐらいあるんでしょうか・・・10個で6400円 100個で6万4000円・・・いやはや 農業は金食い虫ですな そして その研修時代 レギュラーガソリンは 95円ぐらいだったと思う
このところ 下がってきて 105円・・・・うーむ この前まで 150円とかだったわけで・・・肝心要の動くにあたっての絶対に必要なものが すべて 他人に握られているということの恐怖 不快感・・・よくみなさん 我慢しておられますな・・・・・どうでもいいものが 握られていることには何も思わないけども 誰もが生活していく上で 必要上欠くべからざるものに 庶民は手を出すことができない構図・・・・まあ 数十年は変わらないだろうけども 人類はいつになったらば フリーエネルギーを手に入れることができるんでしょうね・・・たぶん 技術の問題ではなくて 政治と権力と 分かち合いの精神とのせめぎあいなんでしょうな・・・今の時代は まだ 野蛮 です

 さて 会社にお勤めの方は 月曜日の朝起きて (会社に行きたくないな) と思うことでしょう・・・・それは 僕も同じ 休みがない生活が続き 月によっては 一度や二度は (ああ・・・畑に行きたくない・・)と思います たぶん 会社勤めの方は そんなときは 有給休暇を使うとか 仮病を使うとか 親族を誰か一人犠牲にするとか・・・まあ どちらにしろ 連絡するわけでしょう・・・自営業の場合 そして 僕一人ですので 自分に電話してもしょうがありません・・・(あの~~ ちょっと畑に行きたくないんですけど・・・) そのときは 誰も僕を怒る人はいません 誰も何もしてくれません それは 楽でもあるけども 地獄でもあります どれだけでもさぼれる どれだけでも 寝ていられる しかして 必ずそのしっぺ返しはすぐに自分の身に降りかかるのですな・・・(誰が種播いたんだ!あ!全然ちげーよ!ああ!?) 自分の播いた種はこうして必ず自分で刈るはめになるのですな・・・

 自分で農業を始めたときは 目標を定めて 必死にやるわけですねそれこそ・・・しかして 目標というものは それを 達成した暁には また設定しなくてはいけません そして たいがいにおいて 達成した瞬間に酔いしれて しばらく 気持ちが下がってさぼるのですね・・・それが 人の弱さ というものです・・・・だから 今の僕はあまり 目標は設定しないようにしています・・・(あの電信柱までと思って走って ゴールしてからまだ先があった場合 もう走れませんよね)
 農業の世界では 離農する人もたくさんいます 途中で夢破れていく人をたくさん見てきました その中には だめ人間というよりも むしろ 真面目で一生懸命な人が多いことに驚くのですね・・・・なぜなんでしょうか?
たぶん 一生懸命やる ということに重きを置いて 結果に対してシビアになれない のではないかと思います
どうしても自分の気持ちを優先してしまうのですね そして それは エゴ です・・・
農業は 結果がすべて・・・野菜ができればOK できなければ どれだけやってもアウト・・・僕は そう判断することにしています ゆえに 努力には意味がないのです 昨日までちゃんとできていても 台風で一晩でやられたらアウト 自分の責任など一ミリもなくてもアウトなんですな だからこそ 自分を過信してはいけないのですよ百姓は・・・・こんなことの何が意味があるのでしょう? そのように思い始めて 夜毎 自分の爪をじっと見始めたらば そこからが 実はスタートなのだということです・・・・無力感 徒労感 無価値感 それに身をよじり始めてこそ 明日が見えてくる 畑をやって生きていく ということは そういうものだ と僕は思っています・・・

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