有機農業

最後のみず菜の出荷 日本の農業の未来は?別の構造を作りましょうよ!

3月7みず菜
今日の写真 最後の晩生みずなの出荷始まる 季節は3月に入った 端境期(はざかいき)にも突入 これから4月そして5月の頭ぐらいまでは 冬→春 へと移行する そのさなぎの様子が見えるがごとく 季節の移ろいが見れるわけです いろんな野菜たちは花を一斉に咲かせるべく 本来の植物としての役目を果たす そう 僕が作っているのは 野菜なのだけど その本当の姿は 植物なんですな 意外と忘れがちだけど・・・ 我が農園では 白菜のとう立ち菜はメインの野菜として出荷されるけど 慣行農家の方々などは 野菜に花が咲く など実のつく野菜以外ではけっしてあってはならないこと まさに 命の途中を毎回 戴いているのです それを忘れたら 百姓の資格はないのです・・・・

 とある話をふたつ・・・・直売所に出した大根が濡れている と クレームが来たそうな・・・あれには参った と とある農家の話 もうひとつ 5桁に迫る有機最強法人の話 ワンロット 4トンの人参をトラックで納品 1000本に一本の割合でしか 割れがないにもかかわらず その 4トンすべてが返却 の憂き目に・・・・その後 その法人は 袋詰めをアウトソーシング 外に発注したそうな・・・・これが 今の日本の農家が直面している現実の話です
 さて この先に 日本の農業の未来があるでしょうか? 僕はない 個人的に 僕はこの先には未来などない と思っています この20年 農業の世界に飛び込んでみてみてきた世界 それは 本当に現場の畑で農産物を作っている農家や法人などは 物凄い努力をしているということだ その 血の滲む様な思いは 僕の心を深くえぐってきた 僕自身 必死になって 畑と格闘してやったきた そこには 少しでもそうした立派な方々の後塵を拝することができれば と思ったからだ 多くは名もなく そうした努力は報われることもなく ひっそりとやがて離農するか この世のお別れと共に 畑は誰も継ぐことなく 打ち捨てられてきた・・・
 構造を変える必要がある 農法だとか 栽培技術だとか そうした現場の話ではない これは 農 というものを取り巻く この国の形の問題なのだ システムの問題だと思う 具体的には 消費者なのだ なぜ 業者や小売りと言わないのかと言えば 業者は結局のところ 売れればいいのである 小売りも同じ 彼らは 生産物を右から左へ流すだけ ゆえに そのふたつを動かす力を持っているのは 生産者ではなく 消費者なのだ 
 日本の消費者曰く (意識高い)という話が出ることあるけど だったら なぜ スーパーで言わないのです?
(見栄えが悪くてもいいから もっと美味しい野菜を置いてほしい)(なぜ 有機農産物が置いてないの?)(なぜこんなに安いの?これは不当に農家さんをいじめているんじゃないの?)  日本の消費者は意識高いんでしょ? なぜ 毎日スーパーで 先のようなクレームをスーパーに言わないんです? 

 アメリカ西海岸を中心に CSAという仕組みがあります 僕もネットなどを中心に聞きかじった情報ですのであやふやですが・・・金持ちたちが 金を出し合って 田舎の農園を買収 そこの農家さんを 管理人として 自分たちで農園を持つわけです そして 休みなどは 高級車でいつでもその自分たちの農園に行き 好きなときに好きなように収穫をしたり 畑の横にある レストランで調理してもらったりして 休日を楽しむ もちろん 農園の維持管理には 給与や設備投資も含め きちんと対応する というこの一連の仕組み 所有者であるオーナーはいったい誰なのか?という問題はあるけども この仕組みには 出荷 という概念自体が存在しない つまり 出荷しなくても 外から取りに来るからいいのである 農園管理者の自由度はどうなるのかわからないけど 倒産 するということはなくなるわけだし 台風で野菜全滅しても ましょうがない と言える世界がここにはある・・・・日本は ここに辿り着くまでに あと何年かかるでしょうか? すべての答えにはなりませんが 全く別の構造がここにはあるわけです そうした 新たな構造を作らない限り 僕ら農家は 台風が来ることに怯え 出荷日がやってくることに怯え そして 業者に怯え 消費者のクレームに怯える その世界の先には 未来があるとは 僕は思えないのです・・・・

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