有機農業

農業の世界の常識 人間なんてららあ 冬の空は青

今日の写真 晩生のみぶ菜の収穫 ちょっとまだ小さいけど出荷する ずっと ターサイとほうれんそうの葉物が続いているので お客様が飽きていないかが心配でみぶ菜を出荷する このように 消費者が お客様がどんな感じなのか を 常に感覚として感じているのかどうか・・・が この商売の分かれ目である(我が農園に置いてはだけど)

農業の世界では 基本 生産者は生産者の視点からしか物事を見ていない・・・のが大半だと思う それが 農業の常識であって 昨今こそようやく なんとか何次産業化といって 別の視点の話が出てきたわけだけども 生産者にとっては 売る 人と 食べる人は別 という構造がある そう 売るのは業者であって その人が食べるわけではない ゆえに 食べ物を作っているのだけども うまい! という評価が第一義に来る事はないのである ゆえに (見た目)が第一義に来る 僕が 第3者の業者出荷をしてスーパーに出していた際には (美味しい) とか 味の評価を聞くことは最後までなかった 最初から最後まで すべてが 見た目 の評価でした ここに 食べ物を作ってはいるものの その味自体の評価ではなく 見た目の評価が最優先である という矛盾した構造があって そして それを 消費者が後押ししている となるわけです なぜなら 形や見た目に一番こだわるのが 消費者であるからだ 業者は 売れるものを売る 形が良いものが売れるのだから それを棚に置く・・・消費者はクレームをすることはあっても (どうしてもっと美味しい野菜を置かないのか?)といった内容のクレームをしたことはないだろう・・・

消費者を教育する ということを 誰がしていく必要があるのか?真実を伝えていく ということを誰がしていく必要があるのか? 誰なんでしょうね? 農家 でしょうか? 業者でしょうか? 農水省でしょうか? 政府?? そもそも 消費者を教育する必要があると 消費者自身が思っているんでしょうか? 僕にはとてもそんなふうには思えません 20年の間 直接ネットなどを通じて 野菜を販売してきた僕の感覚からすると 月日が経つにつれて 消費者はより 傲慢になっていきました 便利さを求めるようになりました すべての商品が(当然有機野菜も)消費者の視線に赤裸々に晒されます 穴の空いた葉物は許されません 虫がいるのは許されません それが たとえ無農薬だとしても・・・畑には台風が吹き荒れ 雨が続き または 日照りでまともに育たなかったとしても それは お客様には関係がない・・・その 断絶と壁の厚さに 僕はこの20年疲労してきました 日本の有機農業はオワコン化している・・・と 聞いて NO! とは言えない自分がいます 薄ら笑いを浮かべる自分がおります そして いろんなことを考えたりするよりも 遠くを眺めて ここではないどこかへ意識を向けたい自分がおります・・・・人間なんて ららあらららあらあらららあああ!吉田拓郎が鬼気迫る表情で歌い上げるその光景が目に焼きついて離れませんな・・・(何の話)

すべてを乗り切りたい すべてを肯定しすべてを否定し 別のどこかに行きたい 農業の世界でそんなやり方はないだろうか? 僕がここ数年 考えたり感じたりしていることの根幹にあるのはこれです 現状にはうんざりしております 嫌気が差しております それがすべて自分だけが原因とは思えません(大半がそうでしょうが) 原因はどこにあるのでしょうか? そうです 百姓の分際で頭を上げるからですな 一生自分の足元だけ見てはいつくばって生きておればそんな分不相応な望みを持つことはありません 明日は視線を上げてはならんぞ・・・でも 冬の空は見たくなるほどきれいな青なのよ・・・見たくなるのよね・・・いかんせん

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