コラム・百姓から見た世のつれづれ

花が咲き春が来る 動画をする動機と意義 怒りの中に自分があってはならない

今日の写真 畑では花が咲き始めました はい 春が来ましたね こうして 冬が去り 春が来たわけです そうですか 今年も春が来ましたか 冬ってやはり 寒くてつらいものです 百姓は常に前線にいて渦中にいるので 自然を対象化することが難しい訳ですので (冬はつらい) ということはあえて感じないようにしているわけです だって それを言ったところで 暖かくなるわけでもないし 収穫のときのあの手の冷たさが和らぐこともないし 出荷作業の際のしんしんと足元から冷えが襲うあの心細い感じ がなくなることもありません なので じっと飲み込んで冬を耐え凌ぐわけですが こうして 咲き乱れた花を見ると ああ!しんどかったな今年も! と ようやく じっと握り締めていた麻紐を すっと手放す瞬間なんですね 春の勢いって やはり こうして見ると凄いものですね・・・・

ユーチューブの動画配信に力を入れるようになって約3年・・・少しずつ形になってきた感があります でもまだまだ・・・最終的にはこれ一本でなんとか立ち行けるようにしたいというのが狙いです 時代はどんどん過ぎていきます 農業 というもしかしたら 社会の中で一番遅れているこの業界 その中でもほとんど需要のない 0・17パーセントというシェアしかない有機野菜という世界 畑を知って欲しい 有機農業の現場を知って欲しい そして 野菜を買って欲しい 生産者と消費者が繋がることで 何かを生み出したい そんな漠然とした動機から動画を始めました 年々 有機農業の現場はきつくなります 売り上げは減っていくし 顧客はどんどん短期で辞めていきます 将来的な展開を考えるに何かしらの軸を畑以外でもっていないと 立ち行かないかもしれない という危機感が常にあります 農業の世界では 兼業農家というのが大半です そうでしょう だって 野菜だけ作っていたら何かあったときは不安でしょうがありません そんなことを考え始めたら 本当に 夜が眠れなくなります・・・小学生に将来なりたい職業に ユーチューバーが上がるそうですが 僕の場合 そんなかっこいい動機ではないのです 止むに止まれぬ動機なのです 防衛手段なのですね 正当防衛なんです だから 必死なんです 必死にデジカメに向って アホなことをしゃべりまくるんですね・・・(今日もあなたと百姓天国!毎日 配信して御覧なさいよ いいともやっていたタモリがどんどん暗く自省的になっていったのがわかるというものよ まじで!何が天国だと思ってますよ日々ね!)

(怒りの中に 自分があってはならない)・・・中世吟遊詩人 キユミーノ・ハラホロビッチ氏の言葉 最近 ようやくこの意味がわかり始める 怒りが難しいのは こちらに全くの非がない場合だ その場合 きちんとその怒りの正当性を理路整然と伝えるわけだけども どこの段階からか 自分の中のどの部分かが出て来て 本来の怒りよりも 大きくなったり 小さくなったり 卑下したり誇張したり・・・脚色が始まる そして 結局 当初の怒りが正当なものだったかすらわからなくなる こうして ひどく自分が落ち込むことになるわけです 自分に正直でいる というのは かくも難しいものですね・・・・はらほろはらひれ・・

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