コラム・百姓から見た世のつれづれ

流行るも廃るも理由あり 3・11 自分と農園と社会とでもって 冗談じゃありませんな

今日の写真 隣町のカフェに行く わりと何もない地域で初めて見つけたカフェに入ってみる 店内はとても混んでいる 出てきたのがこのレベル とても高い 流行る店にはそれなりに理由がある つぶれる店もそれなりに理由がある 至極単純なことだと思う 実際 それをやってみるとわかるけども 毎日 来る日も来る日も高いレベルを維持して提供し続けるには それなりのものがなければならない そこに妥協があってはならない お客様に提供するという仕事を僕もしているわけだけども 業種はなんであれ そこはもう 戦い なのだということですな・・・僕も負けずに頑張らないといけないと素直に思いました

3・11です 今年もやってきました 毎年 この日が来るわけだけども やはり毎年 同じことを思うのですね これ まだ自分の中で消化できていないなということです 相対化することもできてないと思います あの日の前と 後と 僕と我が農園は その日を境に変わりました・・・・すぐに何かが変わったわけではないと思いますが 変わったのだと思います より 買い支えてくれる お客様のために頑張ろうということです あの日から翌年の夏までに 多くの人が僕の野菜を取る事を辞めていきました このままだと辞めることになるかな と思いましたが 結局 ぎりぎりのところで踏ん張り 今に至ります 数年かけて 3・11より前の数字を越えたときには 達成感のようなものもありましたが ほっとしたのが正直なところです 僕は 僕なりに 自分に筋を通すことができたことにほっとしました 農業辞めなくて良かったな と思った瞬間でした・・・はっきり言って 今でもそうですが 誰にでも受け入れてくれることなどは 無理ですし そこでは勝負したくありません 限定的に あくまでも限定的に 自分にしかできないやり方で 自分なりの方法でやっていく ということです 3・11が僕に突きつけたことは そうしたことでした 死 が常に目の前にあるとしたら お前はどうする? あれ以来 やはり その問いは今でもそして これからも有効な問いなのだと思います・・・

そして もうひとつ 先のことが僕自身のことだとすれば もうひとつは 社会 です 結局のところ 目に見える表の社会は何も変わらなかった・・・この事実は 僕の深いところで重くのしかかるようになりました そう 少なくとも あれ以降 この日本のシステムのようなものは 多少変わっていくだろう それは 若かったころから自分がイメージしてきた世界により近いものになるかもしれない 農的な暮らし をしている自分に近いところに社会が寄り添ってくるのかもしれない という淡い期待のようなものでした・・・しかして 現実は・・・むしろ逆で 自分の生活が脅かされていき 離農 一歩寸前まで追い込まれたのは自分の方でした あれ以来 僕は 基本的には この国の持つ社会システムのようなものを一切信じておりません そちら側に属することなく生き延びるにはどうしたらいのか? というようなことをより考えるようになりました そして 明確に これは (戦い)なのだということも思いました 力ではない戦い 誰かを何かを壊すのではない戦い デモなどしない戦い 政治や経済でもない戦い 能書きを垂れることのない戦い 理屈ではない戦い 敵でも味方でもない戦い 社会と自分でもない戦い 電気を作る作らないではない戦い 金でも金でもない戦い・・・自分の何と戦うのか そもそも 何なのかを見極める戦いでもあります でも これは 戦い なのだと僕は思っております そして それは 死ぬまで終わらない戦いでもあると思っております てことで 3・11というものに対しては 全然 落とし前がついておりません 1ミリも納得なんてできやしませんな 全く持って 冗談じゃねーぜ・・・・

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