コラム・百姓から見た世のつれづれ

さあ はった!はった!

00eec77e.やはり 今年の春は例年に比べ 異常なほど日照時間が足りないらしい で 農産物生産者へ注意報を出し 呼びかけているらしい そんなこと言われても どうしたらいいの? と愚痴ってみる 今日の写真 お手伝いに来てくれている Sさんと 初めての収穫 出荷作業 Sさんも かなり 有機農業の現場というものが わかってきたようで 今日は出荷を手伝ってもらった 

 写真は春菊の収穫 こうして 春菊のベッドを指差して どれが春菊かわかりますか?と利くと (???)との反応 はい 僕の葉物のベッドは草だらけで 一見したところ 
どれが春菊で どれが雑草か皆目判別不可能に見えるみたいです 僕はわかるんだけど・・・
 で こうして 一本一本手で ぽきぽきと折って収穫していきます Sさんの感想 (いやあ 出荷も大変ですけど でも 楽しいですよね) はい そうなんです 苦労して野菜育てて このときばかりは 楽しいです

最近思うこと 人が生きて成長するには ある程度負荷が常にかかっている状態であるのがいいということ 1つの負荷を乗り越えると 次のまた新たな負荷がやってくる そうして の炉越えたときに 少し快適な状況を自分で作っていくことができる そのように 少しの快適な
状況と 負荷がかかっている状況とが ある程度緊張感を保ちながら 交互にやってくるのが健全な生き方なんだな と実感する なので 最初から何もせず 快適な状況を期待したり 望むというのは その前提が間違っているような気がする 最近いろんなことを見ていて 僕が違和感を感じるのは 最初からその快適さを求めている人が多くなった気がする まずは 快適であること 気持いいこと 楽であること それが脅かされる状況になると それを回避しようとする でも それをやっていれば 成長はない おもしろいこと というのは 常に負荷が
かかっていなければ おもしろくなんか全然ない 最初から勝つことが決まった博打って
わくわくしませんよね そういう意味で 農業は 本物の博打です 丁か半か!
 さあ 農業に賭けた 賭けた! でもすってんてんになっても 僕は知らない

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