自然や生態系

6ce6ce1e.今日も寒い 気温差が激しい 秋冬の栽培計画をちょうど立てているのだけど この地で野菜を作るのはなんせ初めてになるわけで 種まき時期が以前の場所に比べてどれぐらいずらしたらいいのか なんとか 百姓の勘でやってみようと思う ここらあたりがうまくいくととてもうれしいけど 失敗すると目もあてられん

現職閣僚の大臣の方が 自ら命を絶った 農業に関連する汚職の事件をめぐり10日前にもお一人自ら命を落とした 昔読んだ本で 精神科医の方が 人とは動物よりも退化した存在だ という主張を述べられていた 人は動物のように常にその種族全体のことを念頭に置いて行動することもできないし そして自らの命を生命活動の途中で投げ出してしまう そうしたことを理由に挙げられていた 

モンゴルの大平原などで 狼を見つけたら現地の人たちは車で狼を追いまわす 何キロも何キロも車で追いまわして 疲れ切って動けなくなったところを 銃を出して ずどん ととどめをさす で その最後の時に狼は必ず銃の方へしっかりと顔を向けて正対するのだそうだ じっと動かずこちらを向いた 狼に対して こちらもある種の神聖な気持ちで銃の引き金を引くそうだ アメリカやカナダでの鹿狩りでも同じように 逃げられないと悟った鹿は
じっと立ち止まってこちらを見るそうだ
 
 肝心なことは 何か? それは動物たちは死を恐れていないということだ もちろん弱肉強食の食物連鎖の中では逃げ回るし 一見死を恐れて行動しているように見える でもそれは本能の活動であって 人間のような根本的な死に対する恐れではないように見える
たぶん彼らは 死んだ後自分がどこに帰っていくのかを 深いところで知っているのだろう
そしてまたいつの日か生命として誕生していくことも含めて・・その循環の輪の中には恐怖という概念はないのではないか? でも 僕ら人間は生まれたときから生きることに恐怖して 死ぬことにも恐怖して 死んだ後どこへ行くのかもさっぱり知らない なにやら人間だけが この地球上のルールからはみ出した存在で 僕らにだけ 最も大事な取り決めみたいなものが 知らされていないかのようだ

占いをするときに お客さんにお伝えするのは 僕の考えですがと前置きして 生きるというのは 人それぞれこの廊下を行きなさい というのはある程度決められています で その廊下をどのように行くのか 走っていくのか 後ろ向きで行くのか 壁に寄っていくのか途中で座り込んだりして行くのか 自由意志に任されている と そして 途中で降りてしまうことも含めて・・・

この世は地獄だ と思う 楽しいことはいっぱいあるけど 基本的に生きることはつらいことだと思う 本当の慈愛に溢れたものに出合ったときに ほんのつかの間 自分の肩が軽くなり ふっと楽になる瞬間が訪れる そしてまたやっていける その繰り返しなんだと思う 最後の一瞬までただただ 生き残ること 人はそれしかないんじゃないのかなと思う
今日の写真 愛し合う二人 合掌 

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