新規就農

歯痛・自由の象徴それすなわち農業であり

4c9fe8d1.歯が痛い このところこの日記が滞りがちなのは 歯が痛いからである 疲れてくるといろんなところに負担がかかるのだけど 僕の場合 歯に出る 神経を抜いて薬を詰めている処置したはずの場所に 膿がたまり あご全体が痛くなり しまいには頭痛がしてきて 何もできなくなる ここ数日この症状に悩まされていて 何がつらいって眠れないこと そして何も考えられなくなり Hey!カモン!という気分ではなくなる 今日は午前の畑を終わって限界 意識が朦朧としてきたので 歯医者に行く でもってあまりの痛さで麻酔何本打っても効かず 3時間あまりの手術でも膿が摘出できず のたうちまわった挙句 廃人状態で帰宅 こうしてようやく日記を書けるまで回復 明日も行かねば(誰か代わりに行ってくれ)

今日の写真 遅れていた玉ねぎをようやく播種 2回に分けて播く予定だったがこの一回で決める この畑でどの程度 玉ねぎが出来るのか今年は見極めが必要だ 9月に入り 雨が多くて野菜にはいいのだが この湿気のせいか虫がわんさか 特によとう虫の被害が凄い 間引きやら草取りをしていると 地中からあの不気味な色をしたまるまったよとう君がごろごろ出てくる 当然のことながら 瞬殺 このよとうくんのせいで 2本目の白菜がほぼ全滅した その怒りを指先にこめる

今日のねた(なぜ そんなに儲かりもしないのに苦労してまで農業やるのですか?やめようと思ったことはないのですか?)みたいなことを わりとよく聞かれる やめたいと思ったことはあるのか? はい それはよく思うこと 特に今のような苦しい苦しい現状では 明日にでも 畑ほって成田空港に行き ネパールの山か ラスベガスでバカラで大もうけにでも行きたい気分 でも 実際はやめない なぜか? 今までバイトも入れると両手両足では足らない職場を体験してきた 今思うのは どの業種であっても仕事というのはさしたるかわりはない 僕が自分で大事だと思っているのは 自由であること 僕が感じる自由というのは一口では言えないけど 楽だ とか 束縛がない とかではない(畑なんか最も束縛されている) 芸術家がその表現方法を模索するがごとく仕事ができるかどうかに近い感じ 今までそうした仕事は 農業しかなかった 自由というのはいわゆるどこかの山かなんかの洞窟で自給的な暮らしを好きなようにやる ということではないと思う それは逃避 農業は創造的であるのと同時に ビジネスという社会の枠にもしっかりとあてはまり いわゆる 俗 の中にいなければできない仕事でもある(なんてったって一次産業 社会の根っこだからね) 

『聖なるものは俗なるものから生まれるものである』 僕の求める自由は 俗なるものの中で(この2007年の日本という中で)いかに 自分の描く世界を構築するか こうして日記を書くのも 野菜を作って売るのも 同じ事 農業は本当にその素晴らしい世界を切り開けるものだと思う 3Kの代表のように言われる職種だけど 本音を言えば なぜみんなこれやらないのかなあ?ぐらいに思うこともある それぐらい価値ある仕事だと思う つらい きつい 思うようにはいかない それを全部ひっくるめて おもしろい といえる仕事は農業以外見つからなかったんですね 僕の場合 なああんてことを 麻酔のかかったぼっーとした頭が勝手にほざくのですよ・・・(でも 安部さん 政治家なんてこの際やめて奥さんと畑でもやってみたらどうだい?)

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