コラム・百姓から見た世のつれづれ

青春の終わり 葉物の畑

aeb327b5.僕は6歳までは 実はパリ郊外の古城のようなところで育った 今でもはっきり覚えているのは そのうらぶれた湿り気の多い石で組み上げられた城を見上げるたび 底知れぬ深いものを感じていたこと 年寄りだけどかくしゃくとした 執事が僕の教育がかりで 貴族の末裔として誇りをもって生きていくことを徹底して教えられた ある日 馬にまたがり城から山へと行く時に・・・・
はい! すいません 例によって真っ赤な嘘です! 自分が貴族の末裔だったらと想像してみたけど うまくイメージできなかった・・・ 真実は岐阜の山奥 じゃんぐるのようなとこで 鼻垂らして走ってました(信じた?)

 今日の写真 今の畑の様子です 手前が今出荷中の葉物 みぶなやちりめんからし菜やちんげんさいなど 今日の出荷には同じく ちりめんキャベツ そしてようやく人参を出した 人参は根菜その出来などを見ると 土の状態がわかりやすい 人参はまだまだばらつきも多く 小さい 少しバランスが悪いのを感じる あとは大根ができるのを待っているのだけど もう少しかかる 一本目が全滅したのが痛い 11月に入るかもしれない 大根食べたいと思っているお客様すいません

先日のイベント 森に囲まれたにわとりさんのいる場所で バンドの演奏を空を見あげながら 聞いていたとき (ああ 青春が終わったんだな)と ふっと思えた そうか そういうことか と自分でつぶやいた 先も書いたけど 岐阜の田舎から飛び出して 20数年 ほんと転がる石のように あっちふらふら こっちふらふらと動き回ってきたけど 農業始めてようやく落ち着き始めて 先の農園を閉めて この地にやってきた ようやくひとつひとつ石を組みあげるように 地面に足を着けて 積みあげていける気がしている 今はまだ 大変でうまくいかないことばかりだけど 成果が実るには時間がかかる たしか 孔子の話で 40にしてなんとかってあったけど ほんとそんな感じ いつかは死ぬときが来るだろうけど それまでは ひとつひとつ積み上げて 死ぬ時には それをちゃんと見てみたいと思う その意味では 百姓は長丁場の仕事 今日明日でどうなるもんでもない そのイベントで野菜を買ってくれた人からおいしかったという返事をいただいた 僕のお客様から振込み用紙にいつもみなさん 激励の言葉を書いていただく あああ そんなに優しくされたら 崩れ落ちそうになる これからもずっと そんな暖かい言葉を支えにやっていくんだろう 

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