百姓の詩

バッファローの道具?と 日常と非日常

b596d63a.今日の天気は素晴らしい 成田からどこかへ向かうジャンボの機影がくっきりと見える 空気が澄んでいるのがわかる こんな素敵な大気に包まれているだけで どこか気持が明るくなってくる 自然は偉大だ 僕の生活やいろんなものすべて何の関係もなく 限りなく美しいものを常にただで提供してくれる 今の時代 高い金を出して映画を見にいっても満足することはめったにないのに 青い空はすべての人に祝福を与えるように降り注ぐ 

今日の写真 はいこれはネイティブ・アメリカンの伝統的な道具で バッファローを捕まえるものです これを両手に持ち ものすごいスピードで走ってくるバッファローの正面に立ち ぎりぎりのタイミングでこれを角に向かって投げ縄の要領で投げつける 引っかかったと同時に 自分の体重もろとも・・・・(すいません 真っ赤な嘘です 少なくとも日本にはバッファローはいません いても危なくてできません)読者があきれ果てたところで これは まいかせん といいます ホームセンターなどでも売っているビニールハウスを作るときにも 使うものです これを何に使うかといいますと 今日は葉っぱの日 葉物を種蒔きして これから訪れる寒さから守るために 保温資材のビニールをかけてあげます で そのままだと冬のからっ風で吹き飛ばされる可能性があるので このまいかせんをかけて飛ばされないように押さえるのです この作業をするたびに ああ 寒くなる 冬がやってくるんだ と実感するわけですな・・・

今日のねた 『日常と非日常』 農業というのは典型的な日常の仕事である 朝起きて畑に行き 野菜や農産物の世話をし 暗くなって家に帰る 平安時代の百姓と今の僕 基本的にはさして変わりはない それで年貢や飢饉 などの恐怖や生活の不安を受けいれることができればもしかしたら平安な心を手に入れることもあったかもしれない

現代は日常からの脱却をひたすら目指しているように見える その1つはできれば 毎日がパーティー 毎日が刺激的 毎日がステージ そしてそれを目指すことがセレぶであり 人生の勝ち組みと呼ばれ高いビルに住み 下界を見下ろし まるで日常の苦労からは開放されたかのように振舞う そして もうひとつは 自分を探し 自分の心に分け入り 世界中を旅したり 時には洞窟やらに篭って真理を探ってみたり ストイックに自分を追い込み 自分の中から湧き上がる真実みたいなものを 得ようとすることによって 日常の克服を目指す この二つは根っこは同じもの ただベクトルが反対に向いているだけでどちらも 退屈きわまりない日常からの脱却がテーマだ その昔 振り子のようにこの二つを行き来する自分がいた 若ければ若いほど 極端にその振り子はどちらかに突っ走り 痛い目に会う度にその反動で逆に振る 

日々を当たり前のように暮らしていく なんて難しいことだろう 1000日回峰(字あってるかな?)というのをご存知だろうか?お坊さんの修行で 1000日の間 毎日20キロ~30キロを夜走り 睡眠時間もわずかで暮らし 走れなくなったらその場で腹を切らなくてはいけない という凄まじい修行 それを戦後やりとげた方がインタビューに答えていた 朝起きてその日を一生懸命生きる それが一番大事なことだと気付いたらしい なんと なんとあたりまえなことなんだろうと思う それだけの凄いことをやれば もっと聞いたこともないような真理を見出せる気がするけど そんなことはないらしい あああ 日常って・・・・

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