田舎暮らし

秋の味覚旬の野菜 白菜と 失われゆく ふるさと

7ad77e75.今日の写真 本日初出荷の白菜です キャベツの収穫をしていて ふと見るとそこそこ巻きがいけそうなのがいくつか 少し早いのだけど できるだけ早くお客様には 旬のものは食べて欲しいから 野菜便りには 書いてなかったのだけど 思い切って お野菜セットに入れちゃう これでなんとか 端境期は脱出できたかな・・

今日のテーマ 『ふるさと』 いい響きだ 残念だけど 僕にはもうふるさとという 帰るところはない 20歳まで暮らした土地には もう育った家もなく 両親は別の場所で暮らしていて 大学入学以来 僕にとっては失われた土地になった 
大学に受かって いよいよこんな田舎ともおさらばだ と思った時期に 数年後にはこの場所を離れるかも という話を 両親から聞き 家の敷地(3000坪以上あった)の中を 心に焼き付けるようにして 歩き回った  

 それから 20数年 今になって 決して訪れることができない場所だからこそ まぶたの裏で 記憶を確かめるように 何度も 何度も 再生していることがある なので たぶん 本当にそうだったのか よりも かなり 美化されて 自分の演出も入っているのだろう 小さい頃の記憶から 浮かび上がる 僕の田舎の風景は ゴッホの絵のように 色彩がくっきりしていて 美しい 

田舎暮らしブームで 都会から田舎へと移り住みたい と思っている 若者から定年を迎えた方々の多くは ひょっとして 僕が記憶の底でイメージしているものに 近いものがあるかもしれない 黒板五郎が出てきたり 田舎で農業なんかをやっている人は みんなやさしく 情が深く 損得勘定抜きで 人のために何かをやり 涙を流す 

 農業の世界に飛び込んで 10年あまり 今の日本の田舎はそうでない部分がたくさんあるということを僕は知った 高度成長の影で 田舎から都会に出る若者達がそれを支え すでに 体が悲鳴を上げているのに 先祖からの田んぼを ただただ 守るためだけに 借金までして 米を作っているおじいちゃん おばあちゃんたち
もう 都会でやり残したことはないから 余生はのんびり田舎で という気持はよくわかる でも それを満たすイメージのよい 田舎は すでに多くが失われているのです 農 という暮らし 濃密な人間関係 血縁 そして土地 バブルのころに 打ち捨てられた開発途上の山々は 荒れ果て誰も手がつけられない場所も多い 
田舎が 新たに息を吹き返すことはもうないかもしれない だけど 僕や僕の周囲にいる 気合の入った 百姓たちは 全然そんなことは気にも留めず ひたすら 日々の畑仕事に精を出している それでいい それでいいんだろう たぶん そんなわずかながら生き残っていく 僕ら百姓たちが いつの日か 希望を繋いで なんとか田舎は変わっていくのかもしれない (なんてったって 俺たちゃ しぶといからな・・・)

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