田舎暮らし

フェラーリの購入思案  『田舎で生きること』

8aae3e51.今日の写真 このいかにも正統的な有機農家のきゅうりハウスは もちろん僕のではなくて お世話になっている高柳家のもの きゅうりの出荷が始まったそうで つるの仕立てなどを参考にしながら 撮影した もう 30年も完全無農薬で作っていると こうして病気もなく ちゃんとできる 百姓の血と汗と涙の結晶がここにはある 農水省の幹部はここに来て 10分でもいいから 草をむしれ 

今日は朝から雨 しとしとと降りそぼる 5月が終わろうとしているが まだナス・ピーマンを全部植えてない 栽培期間の長い作物はできるだけバイオダイナミック・カレンダーに沿って作付けしたほうが 後々 効果が出るので 適した日を待っているので 6月に入りそうだ 修理に出している車屋さんから連絡が入る どうも水周りがぼろぼろのようで 一度見に来て欲しいとのこと 昼過ぎに行くと (いやあ わりと珍しいケースでね いろんなとこが錆付いていてねー もう一度きれいにして様子を見ましょう)とのこと これでだめなら 後は恐怖の廃車しかない もちろん新しく車を買う予算は我が農園にはどこにもない 落ち込むというより なるようにしかならんわけで この際 気持を大きく持って 最新のフェラーリでも購入するかな(でもたしか荷物は乗らなかったよな)

『田舎で生きること』 軽トラで田舎道を走っていると 田舎の現状とやらが自然と見えてくる
国道沿いには パチンコ屋 コンビに ふぁみれす そしてホームセンター それ以外は畑と田んぼ 民家がぱらぱらとある いわゆる 文化の匂いのするようなものは一切ない 当然刺激も感じられない 僕が育った田舎もそうだったように 若者がここで何十年も生きていけ と言うのは 酷 だ 生活にびっしりと張り付いたものだけがあって 都会のように なにやらふわふらしたものは一切ない 必要かつ実務的なものだけがあり そこから新しく1歩はみ出したものは すべて奇異にしか写らない 僕の両親もそうだったように 一体こうした田舎に何十年も住む大人達は 何を希望として 何を支えに生きてきたのだろう? 今 僕も年を取り 改めて思う そう 田舎で生きていくためには 何をこれから心のよりどころにしていけばいいのだろうか? 発展や地域開発からも取り残され 若者は大きいバックを抱えて出て行く 都会の人は自然があるじゃないですか?と言うかもしれないけど 自然そのものは 田舎を助けてくれるわけじゃない 都会にはたくさんお店があっていつでも好きな時に好きなものが手に入るじゃないか と田舎の人が思っているのと同じ そんなことはありはしない 田舎には家もあり 土地もあり 仕事もある 家庭は安泰だし じいちゃんばあちゃんもまだまだ元気 そんな大黒柱の大人だけど 心にはなにかしら ぽっかりとしたものが空いている人が多い気がする そんな大人は いったい どんな夢を 夢をもつこと自体を 許されてもいいのかな?

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