新規就農

根菜の日 KY 

d8c9cbd0.jpg今日は 根菜の日 てことで最後の人参を播く 途中播種機の調子が悪くて 播き始めたのが夕方だったのだけど 結局夜7時を過ぎての帰宅 へとへとだった つい最近まで夜7時30分まで働けたけどもう 7時で暗い 太陽は年間の折り返し地点を超えて だんだん軌道を下げていき 陽が短くなる 

 朝一番から畑に行き 今日も苗を植えまくる 新規就農希望Tさんと二人で 苗を植えてかんれいしゃをかけて水をやる と繰り返す しかし 昼以降の暑さに参る たぶん 昼3時の気温は 37度ぐらいか その中での除草作業はたしかにこたえる そうそう 新規就農希望Tさんがもうひとつ 通っている農園では 秋のキャベツは 直播きで作るそうな・・ 白菜も直播き 玉ねぎも直播き ついでに お米も乾田直播き・・・栽培法も日々変わる

 KY(空気を読め)という言い方をするときには 必ず その言下に(従え)という空気がある だけど 凄く不思議だなと思うのは いったい誰が何のためにその空気なるものを作ったのか? だ その作った人(あるいはグループなり組織)の意図を 汲んだ上で 自分の態度を決めたいといつも思う なので たいがいいつも 反対の立場を取るわけで 集団からは 浮くことになる 日本人の持つ (察しの文化) は とても理知深いものだと思うけど 逆に 目に見えない圧力をかけるには これほど相手を 巧妙に追い込む文化は他にないのかもしれない NO! と明確に 議論をして 言葉で主張する土壌には もともと僕らは 向いてないのかもしれない 

 農業 というものについてまわる そうしたKY的雰囲気 百姓であるがゆえ特有のもの
日々をひたすら 田舎で野菜作っていると知らず知らず そうしたものが自分の周りにまとわりついていることに はっとする その中には 自分で選んだものもあれば 押し付けられたものもある 農業を始めたころは もっと楽しくおしゃれになんないものかなあ? とか 思っていたけど 最近は 有機農業もファッションのひとつのアイテムとしている ことに腹が立つ 命の源である 農業 ですら消費という枠組みに取り込んで 何やら 自然と一体となった気分になる? すべてが イメージで作られて消費されていく でも 農業は ゼロから1を作る 原始の世界 そこではイメージ通り進むことはほとんどない やってみて 身体を使って 体験して ようやく何かが見えてくる世界 何十年とやっているベテランの農家さんでさえ (まだまだだべ) と言われてしまったら 新米農家の僕に 何が言える? 今日の写真 とまったままのまるちゃ

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