ネイティブ・アメリカン

スウェットロッジ 有機野菜ははたして敗れたのか? キュート?

cc274497.jpgさて 昨日は朝夜が明ける前に起きて 畑に行きハウスの中のトンネルを開ける それから一路軽トラに乗り込みアクセル全開 高速に乗り山梨へ向かう 一年に一度しか今は参加できない 僕のライフワークの一つ ネイティブの儀式 スウェット・ロッジに行く 
 1000回はやってないと思うけど 数百回はやったかな・・・だからと言って何が変わるものでもない 時代は今や ヒーリングの時代 いろんなセミナーなどで 高額のお金を取って このスウェット・ロッジをやる方法もあるやに聞くけど 僕は 正直疑問です
 ま この方法で 僕の人生が変わったのは間違いないけど それはきっかけにすぎない
どんな方法でも たとえ 一冊の本でも人生はいつでも変わり そこから旅が始まる
たしかに 僕が知りうる限り このスウェット・ロッジというものは かなり強力なものだ
現代心理学などでは 太刀打ちできない領域を秘めているのは間違いない 
しかし 祈りだけでは世界は変わらない 僕らは3次元に生きる存在 目指すべきはマザーテレサのように 祈りを行動に移して生きることだ なので 僕は畑を最優先でやっています 祈る行為は一年に一度 正月のお参りに今年は行かなかったので これで代行させてもらう・・・しかし 帰りは疲れた 事故渋滞に巻き込まれて畑のハウスにたどり着いたのはもう 夜9時過ぎ・・・ハウスのトンネル締めようとして暗闇の中 ハウスに入ると今朝も訪れたはずなのに 懐かしい感じ ああ やはり時間軸がずれている こうしてまた浦島太郎のように 一年という旅が始まる・・・今朝は疲れが半端なくまたユんケルに手を出す 何をやってる俺は!

 有機野菜は 売れない・・・というか 年々販売価格が下がっていることにお気づきかもしれない そう 10年前に比べて 何割下がったろうか? これは何を意味するのか?それは マーケティングに敗れたと言わざるを得ない 有機農業第一世代の鉄人たちは (無農薬で農産物を作ることができる)ということを証明した そう それはまさに戦いだった
あらゆるその地域の中で偏見や孤立 中には融資も止められて村八分になった人もたくさんいただろう(僕はそうした人を何人も知っています) そして時代は変わり 今や地元の名士となり テレビや雑誌 でも取り上げられて 有機野菜 という言葉は誰でも知るところとなった そこでどうなったのか? 結局のところ 減農薬 という折衷案が主流となり
慣行栽培の農家がそこに加わり 有機農家が必死に生産に日々を費やしているのをしり目に
あっと言う間に そのシェアを取られてしまった・・・

 僕のこの成田の近辺にはたくさんの有機農家がいるけども その出荷価格は ほとんど慣行のもの(通常農薬を使ったもの)と変わらない 無農薬で野菜を作っているにもかかわらず 穴の開いた野菜は取引されない 虫など到底不可 みなさん ぴかぴかの野菜しか出荷しないから だめなものは畑で捨てられていく 当然 販売価格が上がらないとしたら 儲けを出すためには 量を作るしかない そして 手間暇かかる有機栽培なのに 大量生産に走るという 矛盾を抱えることになる 今や 有機農家でも 数ヘクタールなど当たり前
 そのうち 100ヘクタール規模の有機法人がわんさか出てくるだろう・・・

それもこれも 消費者を巻き込むことができなかったからに他ならない 正しく畑に向かってさえいれば 必ずや消費者はわかってくれるだろう・・・そう真摯に思って取り組んできた有機農家はたくさんいたはずだ しかして それはおごりではなかったのか? 誰のためにこれをやっているのか? 買っていただく方は何を求めているのか? 自分が本当に苦労しているとするならば その助けをなぜ求めなかったのか? 今 有機農業というものは 過渡期を迎えている もちろん 進歩と捉えることはできる だけど 60年代に不良たちが人生をドロップして夢中になった ロックンロールは今や 単なるひとつの音楽産業に組み込まれてしまったように その魂はどこにあるのだろう? 平成という時代に 革ジャンを着て ギターを抱えていることがもう何も魂を揺り動かさないとすれば どんなやり方があるのか・・・ 有機農業は どうしたら その先人たちの魂を受け継ぎながら どう 中身とビジネスを両立できるのだろうか?・・・・・

 今日の写真 (どうして僕が借りている畑の脇の電柱にこうしたものががんがん貼られているんだ?言っておくが 僕も負けず劣らず キュートだぜ?・・・あ 電話してこないでね)

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