昔の話~農業に至った経緯

戦略情報室公開! 贈る言葉~青春は常に恥と共にあるが問題は今もって同じだということ

c5cea30a.jpg今日の写真 これは我が農園の 戦略情報室の様子です この机の左側にでかいパソコン(最新うんどうず7ですどうだ!)が鎮座しています だいたい月初めの月曜日に その月の仕事をカレンダーに書き込み 同時にパソコンにも入れていき 種まきカレンダーを見ながら すべての作業の計画を立てていきます 僕は基本的に 性格としては破綻しておりますが(いいのか) 農園計画においてはこれでもなかなか緻密にやっております
 今はネットの時代 作付けや野菜栽培の知識などは 検索すれば どんなものでも引っ張ってこれます ただ それが自分にとって どう有益なのかがわかるまでが時間がかかるわけですね でも 農業は特許という概念はありません どんなやり方でも 良い方法はどんどん取り入れていくことができます こうして 日々 勉強して新たな情報を取り入れて 農園をより発展させていくことができるのです・・・

 昨日ラジオで武田鉄矢(字はこれでいいんだっけか)の(贈る言葉)が流れていた 昔からこの歌を聞くと とても苦い思い出が甦る 僕の世代はいわゆるこの 金八先生世代 校内暴力とかの時代だけど 僕はとても田舎の学校だったので テレビの中の感じとはずいぶん違っていたけど それでも その当時の雰囲気は今とは違うものだった
で ちょうどその歌がヒットしている時に 僕は中学3年生となり 卒業式を迎えることになった どういう経緯でそうなったのかはわからないけど 卒業実行委員会みたいなものの責任者になって 卒業式の段取りとかを決めたり 卒業生代表で 卒辞(っていうんだっけ?)を読み上げる役目もあった 
 で その時の学年の人にアンケートを取って 歌いたい歌と聞いたら この(贈る言葉)がダントツ一位だったわけですな で 当然 実行委員長とすれば これを歌いたいと担当の先生に相談したら (それはだめ)ときたもんだ 流行歌は不可とのこと ま 学校なんてそんなものだということは今ならわかるけど 当時は熱くなりますわな 必死に抵抗運動起こして なんとか歌ってもいいことになった そして先生とのやり取りの中で (なぜ校長先生が壇上にいて 僕らが下なのか? 僕らが主役なのだから校長先生も同じ土俵では?)と 提案すると その担当の先生は こう僕に顔を近づけて言ったね・・・(いいか ○○(僕の名前) 校長先生が卒業式の主役なんだぞ)と・・・は? いやいやいや・・・(校長先生は業務の一環に過ぎないでしょ?数ある中の・・僕らは一生に一回だぜ?)と内心思ったけど それで 急に冷めてしまった・・・ そこで もう僕はやる気をなくしてしまい 一番大事な 卒業生代表で読み上げる原稿を当日になって差し替え 普通なら 修学旅行とか 運動会とか全体の行事のネタを入れるのだけど 一切無視して 自分のことだけを長々と読み上げて卒業式には関係ないことを話した 卒業生には受けた 父兄はざわざわ 読み終わって振り返り壇上から下に居並ぶ先生たちを見ると みんな苦虫噛み潰したような顔をして してやったり(内心ざまあみろだった) 

 ということで 今となっては 各関係者に多大の迷惑をお掛けしました的気分がこの歌を聞くたびに思い出すのですね(しかしそのころからひねくれ街道まっしぐらということでしょうな ああ恥ずかし・・・しかも今も同じことやってる感じだよな) 

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