昔の話~農業に至った経緯

立秋 社会の表側を歩くこと じゃが捨てる

8月8じゃがいも傷み

さて 本日は8月8 立秋ってことで・・・・さて ここのところ暑さが戻ってきた どうみてもこれ熱中症だろ?てぐらい 午前中の日差しはきつい 昼に一旦 家に帰り 頭の後ろに冷水を浴びせないと 何も考えられん ま そいでもって アイスを食べれば 至福の時が訪れる ってわけです・・・で 都内などでは ゲリラ豪雨が問題になっているけど あれ見てると 都内とあと山沿いや北関東には 夕方頃雨が降るけど こちら成田は曇るけど 雨は降らない うーむ これ見ると 成田は千葉の内陸だけども 天候の影響は 銚子などの海側の影響も被るってことになるかな・・・・おかげで 人参の灌水に追われる日々が続く

 (社会の表側を歩く)・・・さて 先日軽トラを運転中 何気なくラジオからニュースが・・・IPS細胞がどうしたとか・・で 世界初の実験か何かが成功した とかやっていた 聞くともなく聞いていたけど そこに懐かしい名前が・・・その 某関西旧帝国大学の教授グループのその中心人物の 教授の名前で はたと気づく そう・・・その昔 僕が水商売をやっていたときに 僕の店でバイトをしていた 当時20歳の学生だった彼のことのようだった

 何人の若者を面接したのか 憶えてないけど 彼のことははっきりと覚えている 泣く子も黙るエリート高校から現役で医学部 という履歴書 思わず(?) 何しに来たの? と聞くと (はい あと1~2年で研究生活に入るものですから 今のうちに 社会勉強しようと思いまして・・・・)ときたもんだ 何やら 家庭教師で 月に30万は稼げるけど 社会の厳しさを知ろうと思いまして・・・とのこと 全く持って 舐めた野郎だ と内心 思ったけど ネタのひとつとしておもしろそうだ と考えて 雇うことにした 
 閉店間際に 売り上げ計算などをしているときには 電卓叩くよりも彼に数字を言うだけで 瞬時に答えるから 重宝した そして 20歳で 英語とドイツ語はほぼマスターしていて 今までの僕の人生の中でも 彼の頭脳を超える人はいないように思う だけど やはり 天は二物与えず・・・普通の人と比べて その言動や振る舞いは どこかしら いびつで それがまた仲間内ではおもしろくて よくからかって遊んだ 
いつだったか カウンターのお客さんが 何を腹立てたのか すぐ後ろを歩く 彼の髪の毛をふいに 鷲掴みした
ま 夜の世界ではよくあることだけど 若いスタッフとかだと 切れてしまうこともよくあって あわてて駆け寄る僕を尻目に (え?お客さん どうしたんですか?大丈夫ですか?) と 頭を掴まれながら 笑顔で返す 彼を見て 僕は 腹を抱えて笑ってしまって お客さんも 我に返って 何事もなかったように 手を離した 彼は最後まで
(どうしたんでしょうね?)と 人の悪意というものを 全く意に介せず 話しかけてくる 彼の無邪気さは 今でもよく覚えている

 その後 連絡は途絶えてしまったけど 東京大学の医学部ではノーベル賞は取れませんので 僕は関西にしました と言っていた言葉を 先のラジオで思いだした そう 彼は本気でそれを 目指していた 
40歳そこそこで すでに 教授となり 世界初の実験を成功させる もうその世界は 僕のような 地べたを這う百姓からは想像すらできない 高度な世界のように思えるけど 立派に社会の表舞台で 活躍できるようになってよかったと思う 検索して 写真を見たら 頭はちょっと薄くなっていたけど 若い時のままだった 一緒に某ロックコンサートに行って 拳振り上げてた頃が懐かしい どうぞ 頑張って ノーベル賞を取って欲しい
 若い頃 ほんの一時期関わることができただけで 僕の自慢の一つです・・・
今日の写真 うーむ 今日の出荷準備で頭が痛い これが僕の現実のひとつ・・・じゃがいもの傷みです 今日も半分棄てました(泣く)

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