新規就農

ハウス破れかぶれ・・・降りる生き方 と田舎から都市へと向かう方向性

12月13ハウス破れる
今日の写真 うーむ・・・うーむ 毎年冬になればこの有様・・・ハウスの屋根が破れました 昨年も破れたので 2年連続でもって破れたわけでして これはいかん! ってことで 今年は今までの安いビニールではなくて 奮発して
質の良いものを張ろうかと思います (来年破れたらそれこそもう破れかぶれ・・・)

 さて 先週は 15年ぶりに20代を過ごした街に行き 若かった時代の自分を少し体験してきました 中部地方の山奥から都市に出てきたとき自分は何を考え そして 大学時代 どんなことを思い 大学を出て 農業の世界に入るまで自分はどんな感じだったのか・・・50歳を目前に 新幹線に揺られながらの帰り道 今の自分の立っている場所から 20代のころの自分までを 一直線に並べて できるだけ自分に正直に見て行く作業は 普段 畑仕事に追いまくられている自分には とても 貴重な時間だったと思います ・・・・

 たぶん 僕ぐらいの世代が ニートだとか 新人類だとか言う言葉が使われ始めた世代かもしれません その中で
田舎暮らしや 農業ブーム さらには エコや環境といったキーワードも同じく使われ出しました バブルが崩壊して 都市 → 田舎へ行く動き 地方の時代 なる言葉も出てきました そして そこには 猪突猛進で進んできたこの国の反省の意味も込めて 幻想的なる田舎や農業や ゆったりとした人間的なものを求める流れもあったのでしょう
 僕が農業の世界に飛び込んだ30代以降 そうした 自分探しや 自給自足なるものを求める若者や 定年退職した熟年世代などに たくさんあって来ました 
 それを ひとまとめに言うとするならば (降りる生き方) と言うのでしょうか・・・対して 今や外資系なる大手の会社も国籍を問わない時代 (グローバルマッチョ) などとも言うのでしょうか・・・・成長を国境を越えて求めていくのかそれとも あきらめて降りて狭い世界で慎ましやかに生きていくのか・・・
 
 田舎に住んで畑をやること15年あまり・・・日本の田舎がパラダイスではないことをいやというほど知りました もちろん 都市に住んでいる人の多くも都市に住む不便さをよくご存知でしょう 結局のところ 都市だから良いということもなく 田舎だから良いということもないな というのが 自分の今の思うところです
 僕は (降りる生き方)を選択したから 農業をやっているわけではありません 都会に憧れて田舎から出てきたときの高揚感を今でも覚えていて その流れでもって田舎で農業という仕事をやっています 相変わらず ぎらぎらしているわけです 自分の中では その都度 最先端を歩いているつもりでいるのですね・・・
 そして 昨今は別の流れがもうひとつ生まれ始めているわけです それが 田舎である農業という場から 都市へと向かう流れです 来年のカフェオープンはその流れのひとつです 僕の感覚では 田舎は自浄能力が低いのです
都市の流れの中にある何かを吸収しない限り たぶん 発展することは難しいでしょう もちろん 畑は素晴らしいし 永遠に畑仕事はやり続けます しかして それだけでは もう限界なのです
 新たな流れを呼び込むには 都市に出て行くこと 田舎でベースを持っている人間が都市に出て行くことが今求められているように思います 田舎から都市へ というこの流れは 農業者であることだからこそ意味を持つのだと思います 僕自身都市への憧れももうありません きらびやかなネオンはもうまっぴらごめんなのですね 都市での生産 都市での農的な何かを作っていくこと それが 最終的には 豊かな田舎を作っていくことに繋がるのだと思うのですね・・・  

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