
今日の写真 新じゃがいも 1発目 わせしろを試し掘り・・・うーむ まだ小さい ミートソースパスタに入れて煮込むと味は良かった これ 皮をむかずにそのまま使えるのが利点 もう少し太らせたいので 出荷はもう少し後・・
しばらくお待ちくださいませ
6月22の横浜のイベント・・・チラシ作りなど 残り1月を切って 準備に手が回らない 何よりも 農繁期で頭が畑モードになっているので 申し込みはどうするのか?とか 映像は前回失敗したので ちゃんと写るか とか心配の種は尽きない 農家自身がイベントを企画して 募集して 行う というのは 実はとても大変なことなんですね・・・
まだ マルシェとかで野菜売りに出ていたほうが気が楽です・・・しかして すでに マルシェの時代は終わった 今後は 農家自身が 自分をプロデュースする時代に入った 自分が何のために 何を目的に そして どんな着地点を目指して 農業をしているのか? を 農産物とともに 消費者に向けて つまびらかにする 畑と自分とそして 消費者とを繋げる力を 農家が自分で行うということだ 中間業者をすっ飛ばすのはもう売り方だけでなくて 企画 広告 宣伝 プロデュースを自前で行うのが肝要でござる ってことです
(技巧的という生き方) 村上春樹の新作 独立器官 でのある一説 女性は一番大事なところで 嘘をつく 声色や顔色ひとつ変えず・・・・それは まるで独立した器官として備わっている ・・・そんな女性に振り回された 男性の話だ 人生を順風満帆に送っていた主人公 ガールフレンドと適当に遊び 仕事にも命をかけるようでもない 人生を うまく渡っている その様子を 技巧的 と村上春樹は表現していた ・・・技巧的な生き方 僕はものごころ付いたときから 自分は要領が悪い 人が普通にできることが僕にはできない 誰かがきちんと説明したわけでもないのに クラスのみんなは すでに知っている 僕にはさっぱりなんのことかわからない 中学のときだったか 当時 万引きが流行っていたらしく(そんなことはまったく知らなかった) 担任の先生が ホームルームのときに いきなり 怒鳴り散らし始めて クラスのみんなは下を向いたり 女の子は泣き出したりしたのだけど 僕は その肝心な 怒られている理由がさっぱりわからなくて 最後まで 呆然としていた そして 何日か経って それとなく聞いて初めて知った ということがあった ・・・多かれ少なかれそうしたことはあると思うけども それが度を越えているかも・・・と 思い始めのが20代で もうあきらめの境地に達していて 気付けば インドを旅していたり ネイティブアメリカンの儀式で飲まず食わずで踊ったりするはめになったわけです・・・
そして 技巧的 とはほど遠い 農業という職業を今やっているわけですが まあ 自分にはあっているのでしょう 合理的な人や 利益を求める人 などは 有機農業なんぞ関わってはいけません しかして 技巧的にうまく生きたとして そこに 最後は何が残るというのでしょうか? 最後まで うまくやって なんとかいろんな不幸や 火中の栗を拾わずに 生き残ることができた・・として 人生と言うのは はたして そうしたゲームでしょうか? 多少の不幸や 誰も拾わないものもたまには拾い 多少の苦難を引き受けてこそ 人生をまっとうした といえるのではないでしょうか?