田舎暮らし

愛のない人生なんて・・・アンデス豊作 田舎の草刈りから見える田舎の将来・・・・いいからやってみはなれ

7月1アンデス豊作
結婚はコストパフォーマンスが悪い・・・のだそうだ では 一人で生きて損得で人生設計を考えるということを第一優先にするというのか・・・となればだ その人生に 愛 はどう関連してくるんでしょう? 愛はコストパフォーマンス的に言えばありやなしや・・・ 愛のない人生に何の意味がある? (いいから黙って頬をぶたれたら 反対の頬を出すんだ)

 今日の写真 さて 7月に入りました じゃがいも堀りはできれば6月中にやっておきたかった てことで 小雨降る中最後のじゃがいもを掘りました アンデスが豊作・・・今年は全般的にじゃがいも悪かったけど なんとか 後半持ち直してほっとする 収量4トンはいったようだ やれやれ・・・・アンデスは年内中心に出す色つきのじゃがいも 予定より多く取れたので 早速来週から出荷するつもり・・・・今年は茄子が不調でもって ズッキーニも次の番手が追いつかないので 助かる これで 2017年の芋の一品 じゃがいもが終了・・・反省点はもちろん多々あるけども こうして胸を新たに 来年また挑戦する・・・それの繰り返しが農業という仕事 所詮 20年やったところで じゃがいもを作った経験は 20回しかないわけだ だからこそ 1年 という単位に必死にしがみつかねばなりません まあ 今年は実験だ・・・などと 呑気なことを言っている農家で成功した人はいません 一生勉強 一生必死 一生百姓 でございます・・・

 明日 日曜日は この地区の農家総出で 畑や田んぼの草を刈ります・・・てことで 今日の土曜日に頑張って僕は草を刈るわけです・・・この話の意味がわかりますでしょうか? 明日 草刈りが行われるので だいたい 1週間前ぐらいから 多くの農家は頑張って 自分の畑や田んぼの草を刈って生きます どういうことなのか? 普通ならば 村総出で草を刈るわけだから その日にあわせて無理に草など刈らねばいいのでは? と 考えますよね・・・そうではないのですよ 田舎は・・・そう 村総出で草を刈るときに みんなが見るわけです 誰が草だらけにしているのかを・・・だから 悪く見られたくないから その村の草刈りの前に みなさん きれいに草を刈るのですね・・・これ 意味わかりますか? 今日も 僕のある地主さんが 雨の中 自分の畑の見回りに来ました そうなのですよ 見栄えが悪くないかを気にしてチェックしに来たのですね・・・・田舎って 本当に不思議でしょう?
そこには 何らの合理性はありません・・・そして もっとわけがわからないのが どこが草に覆われていたらまずいのか? は その地区の暗黙の了解というのがあって そこにはうるさいのですが それ以外は まあ 竹が生えていようがなんであろうが おかまいなし・・・さらに 他の地区のことは一切干渉しません つまり 地元の地域を きれいにしたくて やっているわけではない ということです 僕はこうしたことがわかるようになるまで 10年かかりました 誰も教えてくれる人はいません・・・たぶん 新規就農者はみんな 一生懸命 畑をやります でも 地域の人は畑などどうでもよくて 通路や共用のスペースをきれいにすることを求めていたりします
そして 決してそれを 口には出しません だから 新規就農者は 徐々に評判が落ちていくのです・・・・

 日本の田舎をだめにしたのは 他ならない田舎の人です 農家をやりながら 息子や娘を都会の大学に行かせて 都会で就職させたのです 結果 都市は繁栄して 田舎がだめになり 世界に冠たる経済大国になりました めでたし ぱちぱちぱち・・・田舎の人は すでに 農業などやらなくても充分にやっていけるものを持っています 自前の土地に大きな家 ローンを払い終わった大型機械 年金もらいながら孫の成長を見る喜び・・・車は敷地に何台でもおけます 僕が生きている内には 決して持ち得ないすべてを持っている彼らの多くが 農業を辞めていきます 僕の地区では専業農家は僕を入れてわずか3軒 地区の畑は全部で 80ヘクタール・・・借家に住み 借金まみれで スタッフを抱える僕がすでに地区の1割を耕作しています あと 10年もすれば どうなるでしょうか? 畑の草の見栄えなど気にする人はいなくなるでしょう こうして 日本の田舎は廃れていくのです・・・将来 地域貢献 なんぞと耳に良い言葉を発する若者がいたとして どうぞ 田舎に行き 耕作放棄地をやってくださいな 何十ヘクタールとできますよ 理屈はいいからまあ やってみなはれ・・・

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