コラム・百姓から見た世のつれづれ

じゃがもの芽だし 世代のギャップ

53bafc66.さて 4月も半ば 次々と芽が出てくるじゃがいも君の芽だし作業に追われる マルチを持ち上げるようにして 出ているところを破ってあげて 太陽に当たるようにしていきます こうしてやらないと枯れてしまうのですね 芽を出してあげながら うまいじゃがいもになれよと声をかけていく 今年初めて 畑の周囲の草を刈る こうして何度この一年草を刈るだろうか また暑い季節とともに草との戦いが始まる 

僕の世代は1960年代という高度成長期に生まれた 戦後の焼け跡から這い上がってひたすら経済成長を追いかけた時代だ 僕の両親の世代は本当によく働いたと思う 戦争の貧しさを体で感じ 衣食住の充実こそが人としての幸福だと信じて生きてきた世代 僕と両親は30年ぐらいの開きがあるけど この戦後の時代の30年の移り変わりというのは 想像を絶するくらいの変化があるだろう もちろん今もいろんなところで世の中は変化し続け 世代が10年違うだけで 話すとそのギャップを感じる この世代のもつ感覚 価値観のギャップというのが 今 それぞれの家庭の中でうまく 愛情を育むのを妨げているのだと思う 家庭の崩壊といわれるけど 愛情がうまく機能できない 幕のようなぼんやりとしたものが覆っていて 親も子もどのようにして 接したらいいのかがわからないような状態なのではないかなと思う 僕も10代 20代のときはそうだった 今でもはっきりと覚えている 13歳の時に あることで悩んでいてその内面を母親に吐露した そのときに母親のどうしていいのかわからない困った表情を見たときに ああもうそんな迷惑は絶対にかけたくないと誓った 朝から晩まで働きに働いている親を見ていてそれ以外のことを押し付けてはいけない それ以来 大学に行くことも含めて一度も自分のことを相談したことはなかった 
 そして 年をとり わかったことは親の愛情の深さと 自分の至らなさ そして感覚の違いであった 親が子に向けるものは果てしなく広く深いが 実は互いに住んでいる世界は違う その感覚の違いを乗り越える責任は 実は子供の側にあるのではないかと思う 子は親を受け入れ愛情を深く理解したときに 初めてその世代の違いを乗り越えて繋がることが可能になるのではと思う そう その意味で 親が生きようが死のうが 永遠にその学びは続いていく  

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