コラム・百姓から見た世のつれづれ

不幸な味噌汁 3・11 消費者のみなさんどうですか? 日本の都市に文化はありやなしや

3月11白菜とう立ち菜味噌汁
今日の写真 今日のお昼は 白菜のとう立ち菜をちぎってきて 簡単な味噌汁を作る 作業時間5分 市販のだしに市販の味噌汁を溶いただけ これが 抜群に美味い お手伝いの方も絶賛 そうなんです 美味い野菜を入れれば 普通に何もしなくても美味しいのです たとえば 都内に行ったとして 普通の ご飯とおかずと味噌汁の定食を食べたいとして 某チェーン店ならば 必ず ご飯は今ひとつ(何年前の米なんだ?)そして 必ず 味噌汁がインスタントである 僕はこれが我慢ならない 800円もするのに なぜ 普通の味噌汁が出てこない? と思います きちんとした 先の和食のセットを食べようとすれば 2000円とかになって なんだかどこぞの割烹料理になってしまう・・・そんな高級なものは求めていないのです 普通のものが食べたいのですよ そして 都内ではそれは成立しない だから それを 僕は (不幸)と呼ぶのです・・・

 3・11です まずは 震災に遭われた方 そして 今でもなんからのご苦労をされている方には 心よりお悔やみ申し上げます あれから 7年 僕の中でも全く変わらない思いはあります 僕は東電は許しません そして 同じように 電気を作るこの国のシステムも間違っていると思います そして あれだけのことが起きて ほとんど何も変わらない 変わらなくても良い と思っている この国の一般消費者 というものに対して 僕は信頼を持っておりません なんて恐ろしいことなんだろう と思っています(一般消費者のみなさん もう放射能はいいのですか?今 あえて問いますが もう気にもしていないということならば あのとき さんざん振り回された東日本の農家に対してどう思われますか?農業をやめざるを得なかった農家に対してどう思われますか?何か言いたいことがありますか? 僕は 3・11が来るたびに この同じ言葉を 百姓をやっている限り 日本の消費者に問い続けたいと思います) そして 東電を許さないなどとこのブログに偉そうに書きながら この瞬間も足元に電気を使って石油ファンイーターを当てて暖まりながら 東電の電気を使って パソコンで打っている自分を なんて情けないんだろうと 真剣に 腹を切りたくなる 自分を絶対に許すつもりもまたないのです(偉そうに言うなら てめーで電気を作れ!)

(文化を残したい) と思います 都市近郊の駅前に きれいなビルを建てて 駅前開発を不動産屋がやったとして そこに文化はあるでしょうか?某アマゾンがきれいに日本の隅々にまで配送する便利な世界が発展したとして そこに文化はあるでしょうか? もちろんあるのでしょう ただ そこには 効率化 というものが第一義に来ているのは間違いありません 僕らは そろそろ その先にある世界 その先に待っている世界を想像して どうやら そこにはあまり文化の匂い 人間的な何か というものがないのかもしれないと気づくべきなんではないでしょうか? 3・11は もしかして そうしたことに気づくべく 最後のチャンスだったのかもしれません・・ 日本の文化 の多くは 田舎に残っております 今や崩壊寸前の田舎の (農)という領域にたくさんの宝物がまだ眠っているのです 実際に田舎に暮らして 毎日 それに触れている僕には その凄さがわかります
その豊かさのポテンシャルは計り知れません 僕には30過ぎまで住んでいた都市が 今はもう全く魅力的には思えません 田舎は最高です もちろん 基本的に徳川の世の元禄ではありますが(身分も一番下ですが)
だとして 美しいものが目の前にたくさんあるのですよ そうしたものを何らかの形で 残すことができないのかと 痛切に思います・・・・都市の人の意識の中にはすでに田舎は存在しておりません(東京があればこの国は万事OKなんですよね?) そして 田舎に実際に住む人もまた 農を捨て 自分たちの子供や孫を都市に出した時点で密かに同意したのですね・・・・ま 百姓の身分の僕がこのような幼稚な推察をしたところで何らのものもございません 明日も畑で種を播くだけのこと それ以上でもそれ以下でもございません・・・・

 

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