昔の話~農業に至った経緯

長いトンネル 農業に至った経緯③

f851ba2f.今日の朝は冷え込んだ いつ霜がおりても不思議じゃない感じ ああ 畑が凍てつくと収穫が大変になるのですね・・・ 今日の写真 葉っぱの日だったので 葉物の種まきをして 寒さ対策で トンネルをかける こうして寒さ対策でビニールトンネルを張るけど これから播く 春人参や 春大根は2重にトンネルを張ることになり 最も手のかかる栽培になります 

 今日のねた 農業に至った経緯③~ さて 前回の続きで 農業をやりたい と漠然と思っていろんなところに出かけたりしていたけど ぴんとくるものがなく 具体的にどう ということはなかった そんな時 例のスウェット・ロッジで長崎にまで出張した時に とある方と出会い 大分県に古民家と畑のついた物件が空いている という情報をゲット!そこに住んでいいか?と許可を取り すぐさま移住することになった 当時はもちろん農業のことなど何も知らないど素人 頭の中はパーマカルチャーやら 自然農法やらでてんこもりで 典型的な頭でっかち 理念先行型人間だった 借りた古民家は 今借りているものよりも さらに一回り大きく 築150年 裏には2反5畝の畑つき 家賃は月1万5千円 風呂はなく 近所は温泉街なので毎日 露天風呂に300円で入りにいった 移住して すぐにでも農業を始められると 夢のように思っていた 

そして そこで 半年間暮らしたのだけど まず 移住してすぐに分かったこと それは 完全に村八分になっていること 移住した場所は 完全に過疎の村で 村に入る山道は街灯もなく 限界集落だった 移住してすぐに 区長さんにご挨拶して その後 隣の農家さんに挨拶しに コンビにで買った菓子折り下げて行ったところ 洗濯干す奥さんが こちらを見ようともしなかった 当時の僕は ヒップホップみたいな服装で げんちゃりで移動していた そう 田舎での振舞い方を知らず 都会での生活をそのまま持ちこんでいた 
 そして 広大な畑を前に いつどのように 種まきなどをしていいかもわからず ぼんやりとしていた 仕方なく 地元の造園土木の会社でアルバイトをしながら 次の展開を模索しようと思っていた そうこうするうち たった一人で 誰の知り合いもなく そんな過疎の村で 生きることは やはりかなりつらい 半年たったところで いよいよ決断 そう 田舎で暮らすには 技術が必要だ! もちろん農業の技術が一番 そして その田舎での身の処し方 これが次 そうしたものを身に付けねば 生きていけないのだ ということを 骨の隋まで 理解して 泣く泣く その古民家を後にした 

今思えば 完全に僕は馬鹿だった(あ 今もか?!)こうして 最初のトライは完全に失敗に終わり 農業への夢は振り出しに戻った 次は 研修という言葉をキーワードに 農業の技術をどうやって身に付けるのか? というところに ようやく気付いたわけだ・・・・それはまた 次回 
 (しかし 今こうして10年以上昔を振り返って 本当に顔から火が出るくらい恥ずかしい なので 僕は農業をやってみたい という人には 絶対失敗して欲しくない 僕が踏んだ轍を踏んで欲しくない と強く思うのです・・・)

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