野菜あれこれ

玉ねぎ 文化としての農 の本質

53375a96.今日の写真 これは玉ねぎの直播き栽培です 僕のではなくて 僕の畑に近いところで作っている方のです このあたりでは 玉ねぎはあまり作っている人は いなくて 参考にできる例は少ないのですが ここの場所のは いつも通る度に じっと見て参考にしてます
 で トンネルをかけるのですね ここらあたりで玉ねぎ作っている人は 皆 掛けるのです 僕はかけないのですが うーん 品種の違いかな・・・

茶道の本質 とは何か? と問われて なんと答えるでしょうか?(ちなみに僕は茶道の体験も何もしたことはない) わび さび という日本の持つ文化の 代表的な 茶道 あくまでも 想像の域でしかなくて 申し訳ないのだけど その本質は (もてなす) ということなのでは と思う 
 でもって 僕は 文化としての農 というものを追求していきたい ということは以前このぶろぐにも書いた では この文化としての農 というものの 本質とは何か? このところ ずっと そんなことをつらつらと考えて 農作業をしていた そして ころり とどこかから 落ちるように 1つの言葉が・・・(委ねる) 

 よく言われるように 文化としての農 ということで言えば 自給自足 とか 伝統的な暮らし というようなものに繋がるかと思うけど それは 作る という作業に似ている気がする たしかに 自分の手で作り上げていく ということは大事ではあるけど 日本の持つ文化としての農 という大きな枠組みで見た時には 少し違和感がある 実際の農作業の中で 農業者ではなくて 百姓 という領域で しっくりくるのは (委ねる)という感覚だ 自然に委ねる 土に委ねる 種に 太陽に という一連の流れ・・・やはり そこからは 地べたに生きるものとしての 謙虚さなんだな と自分の足元を見て しみじみ 思う

 さて 3月1(日)援農 を求めます 農作業が早くも立て込んでいて どなたか お手伝いを求めます あわれな貧乏百姓を助けてやってもいいぜ! という方は 僕のホームページから メールをください ギャラは出ませんが これでもか というほど 激しい肉体労働を・・・(嘘です できる範囲でかまいません どうぞ よろしくお願いいたします)

4 thoughts on “玉ねぎ 文化としての農 の本質

  1. こんにちは。
    花粉症の諸症状を筆頭に、腰痛、五十肩、ひざ痛などなどに、おそわれている当方ですが、いつもブログ楽しみにしています。

    ホームサイト、とてもすっきりときれいなものになっていたんですね。構成もわかりやすいし。こういう支援を受けられるのが、ユミさんの人徳なんでしょう。
    左サイドバーの古いほうのサイトへのリンクから、初めて見させていただきました。余計なお世話ですが、左サイドバーのトップに、ホームサイトへのリンク張ったほうがよいのではないでしょうか。

  2. ああ 先日は大挙押しかけましてすいませんでした ご丁寧にありがとうございました 細かい作付け 誠に感服仕りました ああ なるほど トップにですね ご指導ありがとうございます そして 明白ではありますが 僕に人徳などはございません ただただ しがみついて 泣き倒して お客様や周囲の人のご好意にすがって 生きているだけです ではでは また大先輩にお会いできる日を楽しみにしています

  3. 「育つ」「育てる」かな~と感じていましたが、「委ねる」ですか。いい言葉ですね。
    あんなにたくさんやることがあるのに、自分の手ではトマト一つ生み出せるわけでもなく、ただ野菜の持つ力に寄り添うことしかできないですからねぇ。人の力の小ささをしみじみ感じます。
    子供も「育てる」のではなく今ある彼らの力に「委ねる」ことが、本当は大切なのかもしれませんね。
    「万事を尽くして天命を待つ」という言葉を思い出しました。

  4. 万事を尽くして・・ という言葉は いいですね 自分の生活ひとつとっても そうできている時間帯は 少ないですからね 人は無力であると同時に たゆまぬ努力をせねばいけませんね この 矛盾に満ちた世界を生きるのが 我々でしょう・・・ 合掌

弓です へ返信する コメントをキャンセル

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