野菜あれこれ

茎ブロッコリー 百姓としての肯定的側面

d98dfeae.朝から ぐずついた天気 今日は出荷日 雨が降る前になんとか野菜を収穫せねば と急ぴっちで畑を移動する そして 今日の写真 本日出荷の茎ブロッコリー でもって おそらく 今日のお客様は皆 思ったかもしれない (葉大根と書いてあるけど これ大根じゃね?) というぐらい 大きくなってしまった 葉っぱのみならず 下の部分もそこそこある でも 両方食べられるので どうぞ ご勘弁を・・・

 さて 日頃 百姓としての苦しみばかり書いているこの日記(人に言われていつも反省するのです) たまには 肯定的な視点も書かねばと思い・・・さて あくまでも僕自身の体験からきていることなのだけど 農業をやっていて これはいいな と思うことのひとつは 自分自身の人間としての成長と 畑仕事をうまくやっていくこと というのは 比例している ということだ ま どんな仕事でもそういう面はあると思うけど 農業の場合は 特にその要素は強いと思う たまたまうまくいった とか らっきーだ とかは ほとんどなくて 日々しっかりとやるべきことをやっていないと まず絶対にうまくはいかない そして かなりこれはうまくやれたな と自画自賛していると 必ず 生態系からのしっぺ返しがくる 会社は会社 プライベートはプライベートとかいって 分けて考える必要がないぶん 集中して人生に向きあえる 

 そして 百姓仕事で最も鍛えられる精神的部分は 忍耐 そうまさに耐え忍ぶ 昔 スポーツをやっていたときなどは もちろん 日頃のトレーニングなどでも 忍耐は求められるけど それは 大会の日程に合わせて 強弱がある 試合が終わったら しばらくはぐだぐだ・・・でも 農業の場合 畑仕事というのは イベントのようなポイントはない 日々 終わりのない マラソン大会のリーグ戦が永遠と続いていく そのゲームの間に 食事を取り プライベートの喜びもあり 悲しみもあり 当然走っているので疲れるし ゴールが見えなくて いやにもなるわけだけど その自分のペースで走ることの 喜びや満足感 は素晴らしい どこまで忍耐を続ければ? と思うのではなくて 走り続けることが生活であり 忍耐そのものが日々の労働だと気付けば 余計な悩みもなくなる ああ 昔の人は こうして 自分というものを埋没させて 生きていたんだな とつくづく思う 西洋哲学のほとんどが 自由な知的マインドから生まれたもので 百姓仕事から生まれたものではないことから見れば 時間もお金もあったら かえって 人は迷いの中をさ迷う運命かもしれない とさえ 思う 

 てことで(農業の肯定的な面だったのか?) 売上げが 地を這っていても 農業ブームに遅れをとっていても 関係なく 自分のやり方で 畑をやっていくのです 

 

 

1 thought on “茎ブロッコリー 百姓としての肯定的側面

  1. スティックは頂花雷を出荷できるほど大きくしてはだめですよ。500円玉くらいの大きさの時に除去しないと生育の切り替えがスムーズにいかず,側枝の出が遅れて収量が上がりません。特に秋は致命的です。また,写真のように花が開いてしまうと,出荷後に黄変しやすいので要注意です!

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