コラム・百姓から見た世のつれづれ

マルチャー逝くのを受け入れろ俺 そして 宗教と死

bdcb471a.jpgさて 8月に突入 うう マルチャー壊れるし 雨が降らなくて人参の発芽今一つだしで なかなか厳しいこの秋作 いよいよ待ったなしで 白菜と大根の作付が入ってくる でも 暑さがひと段落した感じなので 身体はずいぶん楽になる 
 今日は トラクターが心配になり 一通り自分で点検した上に 自走させて クボタの営業所までもっていき 総点検をお願いした ま 今のところ使っていて特に不調はないけど
(トラクターは時間数どれだけでも壊れるときは壊れますからね)と 営業所の修理担当のコメント ああ そんな怖いこと言わないで・・・トラクター壊れたら もう 僕は 僕は・・・(猫バスに乗って遠くに行くもん)(いくつだ)

 今日のテーマ (死について) あの悲劇的な太平洋戦争があって この国はいろんなことが変わった もう2度と戦争はいやだから 平和が一番良いんだ だから 抑止力とか政治的なバランスだとか 細かいことを考えるのはもういや そして 軍事的なことや天皇という存在をタブーとした それは振り子のようなもので反対に思いっきり振ったことは仕方のないことだったのかもしれない そして もうひとつタブーにしたのが 宗教と死 というものだ
 戦後経済が発展して バブルまで一気に加速 物があふれ 生活が便利になるにつれて 目の前のきらびやかさに 多くの人が囚われていった それに反比例して 現実感を失っていったのが 宗教と死 という分野だ バブルの登場と新興宗教の隆盛が同時だったのは決して偶然ではないはずで 当時 大学キャンパスで 合コンに明けくれるアホ学生の視界の隅で 新興宗教の誘いが頻繁だったのは誰でも憶えがあるだろう 

 今の日本のまともな大人が 宗教や死 というものに対して 力を込めて話すということ自体なかなか見られないことだ (あらちょっと変な人だわね 変わった人だわね)的な人に見られてしまうこの社会・・・ ダライラマに会いに行った チベット密教の総本山 その町では 老いも若きも 生きるということは徳を積み来世より良く生まれ変わるための修行である という 柱がびしっと確立している 誰も誰かをだまして金持ちになろうなんて考えてない そこでは 死はむしろ晴れやかなものだ そして ダライラマ14世も死が待ち遠しい とコメントしているぐらいで この世が地獄だという認識に近い そして ネイティブ・アメリカン 彼らは 赤い道 と言われる あちら側の世界に半分足を突っ込んで生きている 死は肉体を脱ぎ捨て 意識を移行させていく ぐらいの感覚に近い サンダンスでのあの過酷な命がけのダンスを体験すれば誰もがわかるけど まじで 人間死んだほうが楽なんじゃないか とさえ思える 

 生きるということは 死を内包して生きるということだ それは巡ってくる生態系のサイクルのひとつで 受け入れることが 生命体としての義務であり 解放であり たぶん喜びだろう その意味で 死を必要以上にタブーとして遠ざけようとする 今の日本の教育は大悪だ 死ぬことが悪いことだから あってはならないことだから 誰かが責任を取らなくてはいけない雰囲気が生まれる それは 亡くなった人の価値や尊厳をむしろ損なっているとさえ思う そして そこに人間の作った法律という 一見便利なシステムをあてはめようとして 僕らはたくさんの矛盾を抱えてしまう・・・・ 死は日常の中にあって どこにでもあって 必ずやってくるものだ 今日寝て明日起きる保証は誰にもない だからこそ だからこそ 悔いのない方法を選択すべきなんだ だからこそだからこそ マルチャーが逝ってしまったことを悔いてはならないいんだああー 受け入れろ俺!!!(あれ? どっか道間違えた?) 今日の写真 昼飯 モロヘイヤ梅干し乗せそうめんと賀茂なすのチーズかけ うまい!最高!快楽!

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