さて 今日の写真 新たな長靴を導入 購入したホームセンターでは 他の製品よりも3倍長持ち と堂々と書いてある しかして 以前買ったものも同じだけど もって3カ月 おいおい 誇大広告ではないのか?
今日はいい天気 人参の種まき レタスにトンネル できれば春キャベツを植えてトンネルと やりたいことは山ほどあるけど なんといっても 夕方の終わりが早いこの時期 4時半までが限界なので 昼飯もそこそこで切り上げて 作業を続ける キャベツは持ち越しだった でも この時期は動くには最適な季節 農作業が楽しいと思える時期だ ま 春に結果が出るのも遅いしね まだまだ 気楽だね
さて 今日のねた (都市ー田舎 その第3の道) おお!アカデミックなテーマだ
都市の崩壊 は経済に左右されて 景気が悪くなれば途端にその動きが反映される バブルの崩壊と共に サービス産業に集まるお金がなくなり あぶく銭で回っていた業界はみな苦しくなった その意味で 今後 日本の都市なるものがこれ以上発展することは たぶんないだろう(と素人考えでも思います) そして ちょうどバブルの時代に青春を迎えた僕のような世代の中から 都市をドロップして 田舎で新たな生活をしてみようと思う人たちが増えてきた そして それが 定年してからの田舎暮らしとかのブームになり 都市からの脱出を試みる人が増えた流れは 年々増えているように思うし 以前のように 若者だけでなく 広範囲の世代にわたって そうした傾向はあると思う(何のデータも知らないけど)
で 田舎だ 田舎がどうなってきたか に関しては たぶん都会の人はその現状を知らないと思う 公共事業の予算がなくなり それで食べていた土建屋を中心に 駅前のシャッターはみな閉まり 中心産業であった 農業はとっくの昔に ほぼ見捨てられて 若者は高校を卒業したら ボストンバックを肩にかけて 都市に出ていく 仕方なく残る 老人たちが細々と農業を 儲けるという次元ではない 自給用として行い 年間100万にも満たない売上げが 全体の6割に達するのが 農業 というものの実態だ とても 産業と呼べないものが 田舎の農業の真実だったわけで それが 昭和の時代から平成にかけてずっと行われてきた そして その崩壊していく 田舎に幻想としてのロマンを夢見て 都市の人々が 流入し始めた昨今 まったく皮肉な現象だと思う
都市の人の すべてが数字で置き換えられる関係性に疲れた人の いやしの空間として 田舎をあてはめたい気持ちはよくわかるけど 実際にはそれを受け入れる余地は田舎にはない 都市のコミュニティは崩壊しているのは みんな知っているわけだけど 実は 田舎でもそう だいたい 人がいなくなる場所で 関係性も何もない 宮崎アニメに出てくる田舎はもう 幻想でしかない
都市ー田舎 そのどちらでもない 第3の場所 新しいコミュニティを作ること
おそらくは 農的な生活をベースに 農業というものをある程度 ビジネスとして発展させた形をベースに 生態系に寄り添った暮らしぶりを多くの人が望んでいるのだと思う
そこには 田舎の因習をベースにした 家 とかの血にまつわる関係性でなくて 価値観でもって異性の区別なく繋がることができる場所 信頼関係を中心に 経済を回していくこと そのあたりが 第3の道として 新たな目指す場所になるんだと思う
しかして それは簡単ではない 田舎で生きるということは 技術が必要になる 営業部長しかできません という人には役割はこなせない 農業がベースといえば簡単かもしれないけど この時代に農業で利益を上げるのは簡単ではないのは明白だ でも そこで利益が出て回すことができれば 展望は開けると思う そう そこが第一の突破口だと僕は思うからこそ 農業をがんばってやって 食っていける道を模索している それができれば 必ず そこから 新たな別の突破口が見つかるはずだ 今後 100年ぐらいのスパンで 農業をベースにした形で 人の暮らしぶりは大きく変わるだろう どこまで経済が形を変えようとも 消費 を中心にしていては 人々はもう飽き飽きしているはずなんだ そろそろ ゼロから1を作る仕事 生産 というリアリティを感じる仕事を選ばないと 個としての生命が枯渇していくはずだ たぶん 生態系も そして一人一人に宿る 魂ももう 限界なんだという 悲鳴が聞こえているのは 僕だけじゃないはずだ(それは都市にいても田舎にいても同じだと思う)