ネイティブ・アメリカン

元寇以来 愛無くしては・・・浄化のカエル君

5月16かえる君

「罪はある一定の段階を超えると 増大ではなく減少に転じる」・・・・近代国際法の父 チェルト―デン・アホネン氏の言葉 僕が 不思議でならないのは 今回の人災を引き起こした 某電力会社に勤めている人は 全国で何人いるのか よくわからないけど なぜ 休日などを利用して 頭を下げて回らないのだろう? ということだ
 今回のことで 直接・間接 被害を被った人は どれだけいるのかわからないぐらいだけど 一軒一軒訪ねて謝るというのは 現実的ではないとは思うが なんだか 本当に悪いことをしたと思っているんだろうか? とさえ 思えるぐらい 謝罪の気持ちが伝わってこないし そんな光景を見たことがない 会社としての立場ではなく 人としてどうかってことだけども・・・・ てことで 先の言葉 あんまりにも罪が重なって重くなってしまったから むしろ どんどん日が経つにつれ 罪が軽くなっている印象を受けるのは 僕だけじゃないと思うな・・・(ちなみにそんな国際法の父はいません 犯人は僕です)

 今日の発表で 震災の4時間後にはすでに 福島原発でのいろんな機能は失われていて 翌日にはメルトダウンが起きていたとのこと いやあ 僕らが今こうしていられるのは 単純に 運が良かっただけ という事実に みなさんはどう思われますか? たぶん 約1000年前の モンゴル(当時は元って言ったっけ)が日本に攻めて来た時に 台風でみんな船が転覆して助かった時以来 それぐらい 運が良かったんだと思う もちろん今だ 何の解決もしてないけど これから 1000年経って あの時は本当に運が良かったと言える日本でいられるだろうか?

 最近 僕の中でこの人の言動が気になるランキング1位を独走している 伊集院静氏(だけど 僕が尊敬する大人はみんな 組織ではなくて個人で生きている人ばかりだな 組織に属していて 素敵な人ってなんだかあまりいない気がするのは僕の見方がひねてるからか?)
妻であった 女優 夏目雅子が亡くなって25年だそうだ そして 先日出版された本の中で 25年経ち初めてこのことを書いたそうだ そのことをラジオで語っている伊集院氏は (でもまだ いまだに平静ではいられません・・・)と告白していた 彼女を亡くして その後 彼はギャンブルに溺れ 酒に溺れ ぼろぼろになってしまったのは誰もが知るところ あれだけの見識と男気のある大人が 25年経っても 忘れることのできないもの それはいったいなんだろう? 愛 と呼ぶだけでな済まない何か・・・ もし 彼にそうした受難の時代がなかったとして 彼女との愛がなかったとして 彼は作家として1流になれたろうか? 愛 無くしては 文学もへったくれも何もないよ とたぶん彼はぶっきらぼうに言うと思うけど・・・

 今日の写真 キャベツの防虫ネットに張り付いていた かえる君 ネイティブ・アメリカンでは かえるは浄化を司る動物 てことで 明日は雨が降るということです
 

 

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