環境問題

がんがん播種機で種播きます 畑に目的があってはならないんです

8月23はしゅき

さて 今日の写真 季節はもう8月の後半 さあ 秋作の葉物類の種まきも入ってきて 連日 この写真にある 播種機でがんがん種を播く もうそんな時期に入った ほぼ 連日 何かの野菜の苗を植えるか 種を播くかで 季節の巡りというのは 日々動いていくわけだけど この時期の 僕ら百姓にとっては (瞬間) という言葉がぴったりくる そう 僕のような立場の有機農家にとっては 今は まさに 秒単位のスピードで畑仕事をしている時期です
 そう 俺は今 (一瞬に賭けて生きている)ってことです・・・(かっこよくね?自画自賛?)

 さて 都市に住む 20代後半~40代ぐらいのOLさん という層が 消費の基本の枠作りというものを担っていると思うけど(最近の有機農業ブームやら 山ガール?とかもそのひとつの流れだと思う) そうした 層の中で 畑や田舎に関心を持つ人は多い で それは 何だろう? と 僕が都市にたまに行き 彼女たちと接して感じることは その根底に (目的のないものを求めている) ということだ 
 よく 僕のところにお手伝いや 畑ツアーに参加する女性と話していると (何もせず畑でまったりしたい) (土をいじりながら自分で播いた種が育ってそれを食べたり食べてもらったりして人と触れあったりしたい)(自然に癒されたい) (仕事を離れて 日常とかけ離れた体験がしたい)・・・・などなど を求めている 
 根底にあるのは 電車で揺られて 決まった時間に会社に行き ノルマや決まりきったるーちんの仕事 などに飽きている でも やらねば生活は成り立たない そこから抜け出せる方法は何があるのだろう? として 畑や田舎というものを見ている

 だからこそ 畑に目的がない方が良い そうしたものに縛られないで 心を解放したい と願っている 都市にあるものは すべて 目的性に結びついている ちょっとまったりしたいと思って入った カフェはお金が発生して その空間での振る舞いは 自動的に規制されてしまう もちろん 畑にいたからといって 急に暴れたり 走りまわったりしたいということではないけど(僕はたまにそうするけど) 暗黙の了解としての緩い規制のようなものから自由になりたいと思っているのだろう・・・・ そう 畑は本来 自由で 生態系に支配されているけども そこには 命がある 自分が生きていて 血が流れているということを 実感できる場所でもある たぶん そうしたリアルな体験に飢えているのだろう
 ま そうした 都市に住む人たちの思いは 田舎で生活を賭けて 農業をやっている僕の周辺の慣行農家かれすれば 侮辱 と思う人もいるかもしれない その気持ちも僕はよくわかる こうした都市のOLさんたちの気持ちを汲める 農家は 実はほとんどいないのかもしれない その ギャップ 僕はもともと都市生活者 両方の気持ちはよくわかるけど 気楽に OLさんたちが まさに(何もせずに遊びに来れる)環境の畑を作る というのは 真に 農家にとっては 難しいことなんですね いつの日か 僕が余裕ができた時に そうしたものを作れればいいとは思うけど そのために 野菜を売って 余裕を持たなくてはできないんですね・・・・ご理解くださいませ

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