新規就農

茄子の種 農業は現代のノアの箱舟となり得るのか?

2月19茄子の種

今日の写真 茄子の種です 昨年の夏 活躍してくれた茄子君たち・・・ようやく越冬して枯れて来た感じのところで 本日片づけ作業です 茄子は 6月ぐらいから10・11月まで連続して出荷する野菜です その分 とても手間がかかっています なので 当然 かたづけるのもまた 手間がかかります
 本日は援農の人が二人いて 3人でがんがんやりまして 進みましたがそれでも 一日では終わりません
でも 今日は風もなく 暖かく ハウスはぽかぽか・・昼は古民家の庭でひさびさに カレーを作って食べました 美味しかったああー と 良いことづくめ たまには こんな日もあるのです・・・

 そして 今日初めて僕の農園に来た人は・・・まだ若い20代 きちんと大学を出て そこそこ大きな会社に就職 固い仕事をやっている しかして 将来は農業をやりたい・・・・うーむ これが最近の特徴ですね 僕のように20代のころより アウトサイダーな人生を送ってきて その流れで持って 農業をやる というパターンとは違う 今日来た人のように どこに出してもおかしくない きちんとした将来ある若者が それを捨てて 農業をやりたい と言う 
 ただ 彼が 農業に夢と希望だけを求めているのか? そういう感じでもない つまり どちらかといえば このまま 会社生活を送っていても果たして自分は幸せになれるだろうか? このまま船に乗っていたら いけないんじゃないだろうか? という 漠とした不安感からどうにか 逃れるための一つの選択として 農業があるような気がする つまり 以前よくあったパターンの オルタナティブな生き方としての農業 というのではなくて 人生を賭けたサバイバルとしてという捉え方だ うん 僕はこの感覚いいと思う 
 そして 彼が何らかのよくある思想なり 農法なり にこだわっているわけでもなく 有機でやろうと最初から決めているわけでもないのもとても良い(こだわればこだわるほど失敗の可能性高し)

 ただ これは社会や企業という側面から見た時に 強烈なメッセージなのでは?と思う つまり (会社はお金を得るという以外には何もない)と 言われているのと同じではないのか? すでに若い世代にとって そこそこ大きな会社で働くよりも 斜陽して落城寸前の 農業 という世界の方が より魅力的に輝いている という現象が起きているのでは? と感じる まったくもって不思議なもんだ
 大きなお世話だと思うけども 経営者の中で自分のところの従業員が 給与 以外に自分の会社にいる理由をはっきりと示せる人が何人いるだろう? そして 株主総会で (わが社は赤字です しかして わが社は広く社会にそして世の中に貢献しうる仕事をしています どうか 我々を支えていただきたい) と土下座する 経営者はいるだろうか? たぶん この時代 問われているのは そういう意義があるかどうかであって 上半期の数字の問題ではないのが 今の企業なのでは? と思うけども これいかに?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA