コラム・百姓から見た世のつれづれ

レタサイ 人は限定的な~たそがれと村上春樹の新著

8月24レタサイ初出荷
今日の写真 昨年8月24に初出荷のレタサイ 秋の白菜の1発目がこの時期に出来てくる予定なのですが 今年はちょっと遅れております・・・ 露地にて野菜を栽培することの ひとつの弱点は 夏に葉物がない ということです
夏専用の葉物としては 空心菜やモロヘイヤがありますが これはこれでいいのですが 日本人が好きな素朴な おひたしにして美味 と言う野菜がありません なので 毎年 このレタサイを8月の終わりから9月にかけて 本格的な白菜の前に出荷することにしています この時期 とても貴重な葉物のひとつです 今 しばらくお待ちくださいませ・・・・

 (人は限定的な世界でこそ 魂を昇華させることができるのだ・・・)17世紀の思想家 キユミーノ・ストロベリーッチ氏の言葉(嘘そんな奴いねー) 映画(たそがれ清兵偉)にて 宮ざわりえとさなだひろゆきが 奥ゆかしく気持ちを伝え合うその世界は 極めて美しい 藩命により 果し合いにて命を奪わねばならない敵役に あの 田中みん
が出ているので 何度も見ているのだけども(何度見ても田中民は素晴らしい) 今の時代よりも はるかに 制限されたその世界にて 男女が愛し合う ということの価値は 今の時代には想像もつかない素晴らしいことだったのかもしれない そして それを現代で見ている我々が その想像することしかできない世界に 甘美なものを感じてしまうのはしょうがないのかもしれない(一時期流行った韓流ドラマというのもそうかもしれない)
 村上春樹の新著 (女のいない男たち)を読む こちらは題名どおり 女性を失った 女性にふられた あるいは 女性とのつながりを見出せない 男たちが出てくる これを読むと 特別なことなんかじゃなくて どこにでもあるありふれた世界で 苦悩する男たちが出てくる そして 男であればみんな一度や二度は感じた苦しみに似たものが出てくる 今の時代においては これほどまでに 普通の生活をしながら 男女が愛し合い 慈しみあうという当たり前のことが 難しく感じるのはどうしてなんだろう? と 思わざるを得ない そこで 先のたそがれ~になるわけです これほどまでに 現代は 自由になり 人は心を開放されて 制限のない世界に生きているのに どうしてこうなるんだろう? ロマンはなぜ成立しない? ・・・たぶん そこには 命 がないからだと思う 文字通り 命が掛かっている生活があるのか ないのか? だからこそ 人は戦争を起こして 命を削り 新たな命を作り出す恋愛に没頭する という 不毛な世界を繰り返しているんだろうて・・・・ま 野菜のほうがいいよね 野菜は命であって そして 奥方と違って嘘はつかんしね・・・・はは・・・失礼しました 

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