田舎暮らし

雨の降る中・・・キャベツ大産地と 失われ行く農村風景

9月4キャベツ250円
今日の写真 僕が就農している地域でひとつだけある田舎のスーパー そこで 群馬産のキャベツが売っていた 泣く子も黙る嬬恋村産だろうて・・・・一個 250円 ひえー! この時期はどう転んでも彼らの独壇場 日本全国津々浦々まで 今出荷しているキャベツはこれだろう 少なくとも 生産者には1個100円以上は入るから 一日の出荷量が 万単位なわけで 計算すると・・・たった 一日で100万以上の売り上げ・・・(この際なんでもするから その1日の売り上げ俺にくれ!) それが 少なくともしばらくは続くと計算するだけで もう 頭がくらくらしてくるわけです・・・同じ業界の話とはとても信じられないことでございましたな・・・・(でも俺は全然うらやましくなんかないぜ!と言わせてくれ)

 今日も雨 当然 濡れまくって仕事する 研修生Aさんも20代のうらわかき女性ではあるけども 全身泥だらけになりながら仕事する もう この時期はつべこべ言ってられないので 何がどうあっても畑仕事を進める 雨に打たれながら トラクターをかけていると この世のみじめさを一身に受けているような気がしてくる じっとハンドルを握って 俺は何も感じない 体は冷たくもない そう言い聞かせて 合羽から下着まで染みこんでくる冷たい水に対抗する・・・・
あ 先日捕まえたばかりの うさぎが逃亡 うーむ あんなに小さくて力もなかったのに 収穫コンテナを逆さにして
簡易小屋を作ったけど まんまと逃げられた うーむ 一夜の逢瀬となった・・・・(でもたぶん古民家のどこかに隠れている気がする いつかまた会えるか・・・)

 あと 4ヶ月で古民家を出て行かなくてはならない状況になり このところ 田舎で生きるということ 農村とはなんだろう とか つらつら考える その昔 ふらふらしていた時代 ネパールのカトマンズ空港に降り立った時を思い出す 空港からしばらく行くと 僕がまだ 幼少のころの育った村に 本当にタイムスリップしたような農村風景が広がり その瞬間 言いようのない 懐かしく幸せな空気に包まれたのを憶えている 
本来 農村とは 幸せなものだ そこにあるのは 都市とは違う時間が流れていて 人の心を落ちつかせるものがあるのだと思う なぜ 農村はそうしたものを与えることができるのだろう? それは 攻撃性がないこと そして 生命の営みの自然な流れがそこにあるからだと思う 何かを作ること 何かを生み出していること それ自体が 人という種族としての安心感に繋がっているのだと思う そして それは 人の根源的な幸せの形のひとつだと思う
 都市にある 銀行のATMに入った瞬間 不安に陥るのは そこにある流れは 収奪 だからだ 何もしなくても 何かを奪われている感覚 それは たゆまなく循環している生命の根幹とは反対の流れだ だから とにかく落ち着かない そう 思っているのは僕のような百姓だけじゃないはずだ(いや金もないからだとは思うけど)
 でも 残念なことに そうした 牧歌的な農村は 今の日本にはほとんどなくなった 先の群馬の恐るべきキャベツ大産地には そんな ゆうちょな雰囲気はかけらもないだろうて・・・億単位の年収とひきかえに 豊かさを享受する百姓たち・・・もちろん 僕は日本の農業を考えるに それは素晴らしいことと思う(それはそれでいいんですよ もっとがんがんやっても) と 同時に 何かを失っているのも事実だろう かつてのような やすらぎはもうない  だから その部分は 他の誰かが担うしかないのじゃないか と思うわけです・・・はい・・・・
 

1 thought on “雨の降る中・・・キャベツ大産地と 失われ行く農村風景

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