昔の話~農業に至った経緯

レタスベッドすそ上げ 俺はモンゴルチンギスの・・・・時は早い

4月1レタスベッド
今日の写真 さて 今日から4月 お野菜の出荷は10月までクール便に切り替わる トンネルのすそ上げをばんばん行う まずは 出荷の始まったチマサンチュやらのレタス類から こうして 今年も春がやってきました・・・

 僕の名前は初見で読める人はいない (なんて読むんですか?) そう とても珍しい名前 たぶん 聞いた事はない・・・それもそのはず 僕は13才の時にモンゴルから帰化した日本人です モンゴル時代の名前を日本風にあてはめて音読みでそうなっています もちろん 日本に来るまでは 大平原の遊牧民暮らし 羊と共に寝起きをしながら移動する暮らしだ 馬は3歳のころより乗っている 後ろ向きで乗るぐらいどうということはない・・・・
 そして 先祖をさかのぼること 数世代・・・いわゆる13世紀の大モンゴル帝国のチンギス時代に 何十人と生まれた直系の子孫の末裔であったことから 貴族階級として育てられた 幼少よりそうした 伝統的なしきたりや振る舞いなどを 叩き込まれて育った そして 13歳のある日 部族同士の内紛により 血を絶やさぬようにと 僕とつきそいの数名だけを日本に亡命させたわけです・・・・・あの別れの朝 パオの入り口から赤い充血した目で 僕を見つめていた母の気丈な姿は今でも忘れない

 今から20年前 農業研修にやってきた1年後輩の20歳そこそこの純朴な女の子に先の話をしてあげるととても興奮して信じてくれた それから いろいろと質問されたけども(でも〇〇さん ヤギの乳飲めませんよね?なんで?)とか・・・半年間信じていて ばれたときには ワーワー本気で泣いて みんなに怒られたものさ(しかして信じるかね)・・・そう 先の話はまったくの作り話 どこからって 最初からすべて・・・まあ 4月1ですかからね このねたは何度も書いているけども・・・

あれから20年・・・ そして その後輩の女の子は 地元の成田に結婚して帰ってきて パン屋を開いた 今や成田では一番美味しいと評判の天然酵母パンだ もちろん 我が百姓ズカフェで出している 洋ランチのパンはそのご主人に酵母の使い方とかを教えてもらったものだ だから美味しいのですね・・・・今でも顔を出したときに (13歳のときに実は俺はモンゴルから・・・)と話して(もう聞き飽きましたその話!) と 毎度 嫌な顔をされる・・・・時の過ぎ去るスピードは早いものだ
 研修初日に にわとりの卵集めに鶏舎に行った朝 ねずみが死んでいる と泣いていたあの子が すでに 立派なお母さんになり 繁盛店のパン屋のおかみさんだ・・・・そして俺は今でもこんなアホなことばかり書いているだめなじじいになってしまったわけですな・・・・はは

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