コラム・百姓から見た世のつれづれ

ブロッコリー壊滅 理(ことわり)・・・言葉が落ちる 宇多田ヒカル女史の後ろ

10月2ブロッコリー壊滅
今日の写真 うーむ・・・茎ブロッコリーなど ブロッコリー類がほぼ壊滅状態・・・・今年の秋の作付けはなかなかにひどい ここ数年で一番ひどいかもしれない 予定では カリフローレや茎ブロッコリーは 10月の第2週には出荷しているのだけども 全くありません まあ 年を越えての越冬分まで待たなくてはならないかも・・・はー・・ 今年は台風やら長雨など いくつかの要素がからんでこの結果 植えつけた畑が予想以上に 排水が悪く たぶん許容量を超えたのだろう はー 年内までなかなか野菜は厳しい状況だ 頭が痛い そして こうして セット野菜をやっていくということは なかなか 楽にはならない 商品である 野菜が常に安定した状態でできるわけはないのでね・・・まだまだ 先は長い・・・

 理(ことわり)・・・いい言葉 そして いい響き・・・僕の場合 いつのころからか 言葉が頭の中に落ちてくることがたびたびある 女性の多くが ビジュアル いわゆる 何かが見える ということが多いのに対して 男性は 言葉による何か というパターンが多いように思う 僕の場合は典型的な 言葉 からくるものです 占いなどをしていても 先に その言葉がやってきて 後で その意味を探る ということが多いです 先の 理(ことわり)・・・
こうした 抽象的な 一言では答えが出しにくいものを じっと 舌の上で飴を転がすように 日常の畑仕事をしながら 言葉を転がしていく すると はっとした瞬間に その言葉の内実のようなものが 自分の中に流れ込んできます もちろん 理解をした ということではないとは思うけども その言葉と 自分の感覚とが繋がった感じを持つことができたように思える瞬間です そして 次からは その単語を用いて 人に説明できるようになったりします・・・言葉の持つ ニュアンスや 響き 音 それらは すべて 韻 を踏んでいるがごとく 使うほど 自分の体の中に刻み込まれていきます そして その言葉を 自分の口から発するときに そのエネルギーを体現できるようになるのですね それが 言霊(ことだま) だと思います それそのものになっていくこと それがそこにあってしかるべきものとして存在すること・・・・ふーむ・・・AUM・・・

 宇多田ヒカル女史が 何年かぶりにアルバムを発表したとのこと・・・おお 人間性を取り戻すべく 休業宣言をした彼女 音も聴いてないし よく情報を知らないのだけども 復活した彼女の 写真を見ると うーむ・・・後光がさしておりますな そう 彼女は 後ろを感じさせる女性 だ あの 性を越えたところに凛として立つ独特の佇まいは 後ろを感じざるを得ない たぶん ビジュアルで見える人には見えるのでしょう 僕の感じるところでは 日本の古来の魂を感じます リズム&ブルーズをベースに歌っている彼女なのに 日本 を意識するとはおもしろいですな 他者や社会に影響を与えるべく生れ落ちた者は なんらかの宿命を背負っているわけだけども 彼女もその一人 幸せ 不幸せ を超えたところに立つ彼女の姿は やはり 美しい・・・哀しみも業もすべて背負ってのことさ・・・・合掌

1 thought on “ブロッコリー壊滅 理(ことわり)・・・言葉が落ちる 宇多田ヒカル女史の後ろ

  1. ぜひ聴いてみて下さい!弓木野さんの感想をきいてみたいです。日本古来の魂、まさにです。以前の若さ故の照れやカッコつけがなくなり本当に響く歌詞、歌唱です。大好きになりました。

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