ネイティブ・アメリカン

きゅうりの種とり 選挙では何も変わらないと思います 生態系のルールと霊性そして魂 

9月30きゅうりの種とり
今日の写真 今年のきゅうりも終わった 夏よさらば そして ありがとう! てことで きゅうり畑を片付けると共に
完熟したきゅうりの種を採ります きゅうりは 在来品種 来年もこの種を播きます こうして わずかではありますが ひとつの生態系の輪を作っていきます ちなみに もうこの国には とうもろこしの原種の種 というのはありません どこにあるかって? はは それはもう 世界を支配する事に長けた国ですわな(どこかわかりますわな) 世界を支配する源その1は 武器と食糧 でしょう 着々と有事の際に備えて 世界中の種を国を挙げて集めているのですよ 我が日本は そうした 100年単位のビジョンなど影も形もありませんわな 農業をもう40年も前から見捨てた我が祖国 星条旗をバックにして ボーンインザUSAを連呼する日も近いですかな・・・・

 (選挙で何かが変わることはないと思います)・・・ちょっと記憶があやふやだけども 小学校4年生のときに ロッキード事件というのが起きて 学校の読書感想文 とかに 当時の田中角栄を批判した文章を書いた そして 職員室に呼び出されて こうしたことを書くのはふさわしくない 的なニュアンスで言われたことを覚えている たぶん 僕が生まれてきて 体制とか組織とかグループとか その後の人生でどうすり合わせていったら良いのか皆目わからない葛藤した最初の体験だったように思う 誰でもそうだと思うけども 大きなものから 小さなものまで 暗黙の了解やら 組織やグループなどなど みんな どうしてそうなっているのか? という疑問をすでに放棄してただただ 受け入れていくことで 日々の幸せを維持している ということがあるかと思います 僕も多分にあります でも 基本 僕は10代の頃に拒否したことは だいたいにおいて 受け入れておりません もちろん 歳を取りまして 愛想笑いもいたしますが 内心は (早くやめてしまえー どうでもいいぞー みんな壊れてしまえー)と 小学生がダダをこねるがように 思っております 10歳のときに感じた 何かを変えよう とするということは本当のところ どうなのか? 僕なりに 答えを探してきて インドを旅して聖者に会ったり ダライラマにも会いに行きました そして 挙句の果てには ネイティブアメリカンの儀式にのめりこんだりもして 世界と自分とをうまく繋げようとしてきました そして 50歳にして だいたいの骨子は 僕なりの考えは固まってきたように思います

 政治や宗教 あるいは民族 そして文化に経済・・・一見 個別にばらばらに分野がちらばっているようだけども そうしたものの けつもち は何なのか? 政治が解決しても経済的な要因で世界はうまくいかない 経済的にうまくいっても 民族としての溝で理解し合えない 歴史が個々のあらゆる摩擦を証明しています 何が欠けているのか? それは 地球に生きるひとつの生命体としての意識 だと思います 鉱物 植物 動物 すべて 地球上にあるものは 生態系のルールに従っています 人間だけが逸脱しております 人間だけが 逸脱する権利を持っている その意味を深く認識することから始めるべきだと思います 生態系のルールを我々人間社会に組み込むこと その要は何か? 霊性 だと思います 魂のレベルから見れば 何人であろうが どこの国であろうが関係ありません 法律で魂は裁けない のですな 生態系のルールに従い 霊性を社会の根底に打ち立てること そこが 人類が目指すべき ゴールなのではないか と思います では どこからそれを実践すべきなのか? 下からです 下とはどこ? 大地であり 畑です 狩猟民族だとしても同じです 下とは大地から始める事 もう これからは 上からは何も変わりません 政治家や官僚 というものは一番最後なのです ゆえに 選挙では何も変わらない 僕は そう思っています そう思って 畑をやっております・・・あ! でも 今は嘉永16年!ああ! こんなことを書いたらば お代官様に呼び出されて打ち首獄門は必死・・・お助けを! 

  

 

1 thought on “きゅうりの種とり 選挙では何も変わらないと思います 生態系のルールと霊性そして魂 

  1. このブログ読んでいるあなた。
    いいから百姓農園の野菜買えよ。
    くやしかったら百姓の魂を支えろって。
    と、僕は思います、はい、ごめんなさい。

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