今日の写真 えんどう君・・・来春のキャベツの植え付けを終えて えんどう君に被膜資材のパオパオを張る こうして 2017年の作付けが終わっていく すでに 春人参のトンネルを1本終了 12月に入ればこれに春大根の種まきも始まって 2018年の春が始まる・・・・今日の成田は寒い これを書いている夜はすでに千葉のチベットともいわれるぐらいの冷え込み 急にやってきましたな厳寒期が・・・
(人生はループする)・・・・僕の体験から出た言葉です デジャブーとか誰でもあると思いますが 僕の場合 将来やることややるその場所も含めて 事前に何年も前あるいは何十年も前に 実際にそこに来た事がある ということが何度かあります 今の 百姓ずカフェの市川もそうでしたし 実はこの成田も 昔 インドに行くときに当時は金がなくて 住んでいた京都から成田空港まで鈍行列車で行きました そして この空港周辺の延々と続く広大な畑を見て(ん?)と 思ったことをはっきりと憶えています もちろんまだ農業に興味すらなかった時代でした・・そう思うと その時の過去・現在・未来 というのが本当に 僕の記憶の中で 果たして直線状に並んでいる事柄なのか? と思うときがあります アインシュタインの相対性理論で言うところの 時間や空間は伸びたり 縮んだりする とありますが 時間の流れというものも全然一定ではありませんよね その人の精神的な状態で時間は全然変わってきますよね そして その 時間 という概念が一番 次元 というものを扱うにあたって 人間にはイメージがつきにくいものだと思います おそらく 空間と呼ばれるものが 10次元で成り立っている ということを 今の最先端の科学がもうすぐ証明することでしょう とすれば これは ガリレオの時代の太陽が回っているということに匹敵するぐらいの 人間にとっては 革命的な発見だと思います それはつまり あの世はある ってことですし さらに ネイティブアメリカン言うところの赤の道(彼らは死んだらその平行世界に移動するだけだという認識なのです)が すぐ僕らの住む世界の脇に同時に存在していて ちょっと見えないだけなのだということです それはつまり 魂(ソウル)と呼ばれる人間にひとつずつ備わっているものの永遠性にまで 近い内に到達できるのかもしれません・・・・そうした事実を もし 人が受け入れて生きようとすれば 自然と変わっていくのだと思います 人が生きる という意味そのものを変えてしまう可能性があると僕は思っているし そしてそれが 一秒でも早く来ないかなと思ってもいます そのときに 果たして 人は人を傷つけようと思うでしょうか? 金を必要以上に稼ごうと思うでしょうか? 国家 という概念は維持できるでしょうか? 早ければ 数百年 遅くとも千年という単位で人類はその領域を獲得できれば もしかしたらば 文明の滅びは避けられるのかもしれない と思います・・・・・(でもよ 他人の不倫でぎゃーぎゃー言っているような幼稚なこの国など滅びてもいいんでないの?とさえ思いますわな 伊勢神宮さえ残れば我が祖国はいいんでないかい?)